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砂丘に吹く風

Iちゃんが亡くなってもう25年、もっと経つだろうか。若いままこの世を去って行ったIちゃん。
ヤンキーっぽく、ギャルっぽく、オシャレで可愛いお姉ちゃんだった。
エステシャンだったけれど、僕の知るIちゃんは中学生で制服を来ていた、年の割に大人っぽい女性だった。

Iちゃんは僕の親戚で数ヶ月だったけど親代わりだった。しかし、その数ヶ月の濃厚な記憶と関係によって、その後会う度、すれ違う度に2人にしか共有し得ない絆を感じ合った。

Iちゃんが抱きしめてくれたこと、いつも一緒に寝ていたこと、手を繋いで砂丘を歩いたこと、Iちゃんの膝枕で日本海の湿気を浴びていた日々。

Iちゃんがこの世を去ったことを知った日、僕は信州の山の中で孤独な探求に明け暮れていた。

その街の80%が砂丘だった。
日本海が目の前に見える田舎で、僕はIちゃんと過ごした。両親と接した時間も殆どない中で、幼少期の愛された記憶が深く刻まれているのは、紛れも無くIちゃんのお陰だったのだと、この歳になってやっと分かった。

Iちゃんは歳をとることなく、この世からいなくなった。いつまでも可愛いお姉ちゃんで、優しく僕を守ってくれている。1番大切な記憶を与えてくれた存在。

忘れていた数々のことを、もうこれからは忘れない。

台風が日本列島を走る中で今これを書いているのは、ここ最近にあった色んなことが、僕の奥深くにある情景にタッチしたからだ。

何人かの方の遺書の様に残すべきことを作品に纏めたいくつかに触れる中で、これまで見てきたり、同じ時代の中に居たからこそ感じる感慨を受け、僕もそろそろ書いておくべきなのかな、と思ったり、いや何も残さなくて良いと言う気もしている。

この土地で友人達や周りのみんなに流行っている、と言って良いか分からないけど、ここ最近みんなが行って、それぞれ体験を口にしていた。
僕も勧められていたけど、まあいつかはとか思っていた。あるヒーラーの方がいて、みんな見てもらって、良かったと口々に言っていて、今度はほんとに家の近所で企画すると言うことで、それならと僕も行くことにした。
その手のことは僕は信じも疑いもしない。

会ってみると、話す前から、あー、と分かった。
とても良い気が満ちていて、リラックスして開かれて行く感じと、深いところで入ってきてくれる感じ。
貴方も感じる方ですね、とそこも見抜かれた。

そして、心のバリアを解除して、傷を消して行く作業をしてくれたが、これから数日かけて辛かった過去の記憶が甦ってくるから、と助言を受けて帰った。

確かにかなり深くにある記憶や感情を解き放ってくれた感触があり、数日疲れがどっと出た。
半覚半睡の様な状態で不思議な時間の中で過ごした数日だったが、予想とは違い辛かった記憶も傷も浮かんでは来なかった。
代わりに出て来たのは愛された記憶だった。

心の奥にあった孤独感や寂しさが静かに消えて行く。
そんな中で殆ど忘れていたIちゃんの記憶がまるで昨日の様に、いや、今そこにいるかの様に僕に戻ってきた。

大好きだったIちゃんがこの世を去った時、僕は自らの探求を進めて行くために、その記憶を消すことにしたのだった。
あれから長い長い時が流れて、僕は帰ってきた。
Iちゃんと歩いた砂丘で一緒に見た日本海の景色。

そばにいて愛を注いでくれたことに、肌の温もりを覚えさせてくれたことに、大切な大切な記憶を刻んでくれたことに、本当に感謝している。

ありがとうIちゃん。

始まりの景色に僕は帰って行く。
何者でもなかった子供の頃の景色に。
砂丘に吹く風を僕は心地よく、今もありありと思い出すことが出来る。

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