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親方と僕 カリスマの嫉妬

カリスマは嫉妬する。

ある時、カリスマ性について考えていた。カリスマは確かに存在する。僕も何人か見てきて肌で感じている。

一方であれだけ人を惹きつけ、魅了し、ある意味でその影響下で支配してしまうほどの人達が殆どみな嫉妬心と言う極めて凡庸な感情を持つのは何故なのか、分からなかった。

人にはいくつかのタイプ、パターンがある。それが幾つあるか分からないけど、2つだけ考えてみたい。

人を魅了し、自らの周りに人を集め、他に輝きを持つ可能性を感じたなら、より強く燃え、自らの方へと更に人を集めようとする。嫉妬がますますその人を動かす。他の誰にも渡さない、己こそが中心に君臨するのだ、と。こう言う人でカリスマ性が強いタイプ。

もう1つは逆に嫉妬されやすい。人の嫉妬心の餌食となり、よく言う干されると言うパターンに陥りやすい人。このタイプは言わいる天然タイプだ。自らは人に嫉妬を抱くことなく、天衣無垢に理想を追いかける。その純粋さからこのタイプも人を惹きつけ、カリスマであることが多い。しかし、このタイプは最初のカリスマタイプの嫉妬を買う。天然ゆえなぜ嫉妬されるのか理解出来ない。そんな純粋さを見れば見るほどますます嫉妬される。

この2つのタイプのカリスマが同じ場所に居た場合、天然タイプがいずれ干されていく。

このパターンは案外色んな場所で起きていて、人間のよくある形でもある。見渡せばこう言うことは色んなところで起きている。

親方の元でもそれは起きた。今では僕はそう思っている。だからここでは親方と共に歩んだもう一人の人物を語っておかなければならない。本当は語りたくなかった話だけど。

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