交換文庫
「ふろば」の交換文庫企画で、友人から送っていただいた本を読んだ。
江國香織「きらきらひかる」
朝、出勤前の30分ほどを、この本を読む時間にあてた。
社会人になってから小説を読む習慣が無くなりつつあったので、大変ありがたい。
改めて、文系の人間として、対人援助を生業とする者として、小説を読む習慣は無くしてはいけないと思った。
話は、睦月と笑子の新婚生活を中心に、彼らの友人や親の心理描写も丁寧に描かれ、紆余曲折しながらすすんでいく。
睦月は、同性愛者で、恋人がいる。笑子は、アルコール依存傾向で、精神科に通院している。そのことを互いの両親は知らないまま、見合い結婚することとなる。
「脛に傷ある者同士」と、本人たちは言う。
笑子はよく泣く。物を投げたり、ヒステリーのようになることも珍しくない。
なぜそこまで自分を追い詰めてしまうのだろう、と不思議に思った。
睦月は優しく、医者でもあり、笑子と比べると合理的に考えるところがあるのかもしれない。
笑子は睦月のことを「良心という針を逆立てたハリネズミ」のよう、と表現する。
なるほど笑子には、そういう風に映っているのか。
後半では、互いの両親が、「脛の傷」のことを知ることとなる。
笑子の親は、孫の誕生を心待ちにしていたし、睦月の親は、精神病なんて遺伝すると、緊迫した「親族会議」がひらかれる。
当人たちは、このままの生活が続けられたらいいだけなのにと葛藤する。
けれど、変わらないわけにもいかないと、感じてもいる。
終盤では、睦月の恋人が同じマンションの一室に越してきて、生活は続いていく。
多様性。現代的なテーマだななんて思っていたら、初版が平成3年とある。
江國さん凄い。
考えてみれば、多様性や同性愛など、遥か昔からの恒久的なテーマであるし、要は人間関係における「めんどくささ」にいかに折り合いをつけられるかといったところが本質にも関わらず、LGBTQのような都合のいいカテゴライズに人間を当てはめて理解した気になるからブームとは何でも陳腐に見える。カテゴライズやラベリングで救われる人がいれば、墜とされる人もいる。人間関係とは単純化や普遍化など不可能で、ひとつ問題を片づけた気になっても、次から次へと新たな問題は発生する。結局体力勝負なのだ。と私は思う。
ダイバーシティやインクルージョンを語るのは、昔から、「めんどくささ」を引き受ける意志と覚悟が必要なことなのだと思う。早く結婚しろ、子どもはまだかという親の気持ちと、「親族会議」して真正面からぶつかり合わねばならない。決して令和的な、ブームのようなテーマではないのだ。そんなことを思った。
まるちゃんありがとう。
またおすすめの本を楽しみにしとりやす。
というか、俺は何を送ろうか。