価値
たまに、昔のブログを読み返すと、けっこう気づきがあったりします。
考え方が、変わったところと、変わっていないところに、気がついたりします。
2012年4月24日に書いたらしいブログは、そのとき読んでた小説の一部をそのまま書き出したようです。
「あたしのおじいちゃんも、こんなふうに息が苦しそうだった。黄魔のせいで肺炎になったんだ。最後は酸素テントのなかに隔離されて、あたしはなにもしてやれなかった。だから、今はもうすこしやってみる。あのときの分も、がんばるんだ。シューさんはほかのもっときつそうな人を助けてあげて」
妻が教養のかけらもないと馬鹿にしていた最下層の娘の言葉だった。身体を売った金で家族を助け、十代なかばで人身売買まがいの結婚寸前だった貧しい少女である。
それは未来の世界に飛ばされて、何度目かの身体が震えるような言葉だった。
人の価値を決めるのは、生まれた標高でも居住空間の広さでもない。結局はすべてを奪われ裸にされたとき、自分からすすんでなにをするかなのだ。
だいたい10年前、大学2年生くらいだったんだと思う。
福祉を学びながら、学生ということで時間だけはあったので、人間の価値とかそういうことを、授業さぼってだらだら考えていたんだと思う。
石田衣良さんの、ブルータワーですね。SFのイメージがなかったので、意外性で手に取ったように思い出します。
人間の価値なんて、今では考えることはないですが。
ここの小説の一節が腑に落ちる感じは、今でも大きくは変わらない感じがします。