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偏愛

先日、群馬に帰省するタイミングが合い、中学からの友人と4年半ぶりに酒を飲んだ。
小中学生のとき通っていた学習塾の目の前の店で酒を飲むというのは、なんともいえない不思議な感覚だった。

彼は栃木の大学病院で呼吸器内科の医師をしている。私もいまは病院にいるので、互いの仕事のこと、大変な患者のこと、生活のこと、昔の話などしながら、あっという間に閉店になってしまった。楽しい飲み会は総じて何話したか覚えていない。

彼は、中学の時から変わらない。とにかく腰が低く、謙虚な人だ。
彼のお父さんは小児科の先生で、私は何度かインフルエンザの予防接種をしてもらった。今でも忘れられないのは、注射が終わった後、イスから立ち上がり、当時中学生の私に深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言ってくれたことだ。
何に対するお礼だったのかいまだに分からないが、とにかくその腰の低い姿勢に衝撃を受けた。彼の謙虚さや穏やかな性格は、お父さん譲りなのだと思う。

専門職である前に、まず人でありたいと思う。
明眼の人とはどんな人のことを言うのか知りたいと思う。
そのとき大事なことの一つは、謙虚さなのかもしれない。
そう考える自分のことを、信じることにした。


2年間勤めた精神科病院を3月末で退職することにした。
前向きな理由があれば、後ろ向きな理由もあるが、そのことをここでつらつら書くつもりはない。
ただ思うことは、働きやすい職場なら自然と人は集まり、そうでなければ離れていくという事実があるだけだと思う。

障害者施設で責任者をしていたとき、働きやすい職場とは何かということばかり考えていた。ケアの質のことや、接遇のこと、虐待防止のことすら、二の次三の次と決めていた。なぜなら、職員が満たされてさえいれば、福祉専門職は、誰に言われなくてもいい支援を自発的にやってくれるようになる。そう信じていたし、実際そうだった。

八王子の精神科病院で虐待の報道が流れている。虐待は悪である。そんなことは誰でも分かっていて、それを報道することに大した意味はない。それをした看護師たちも、人である。普通の人が、少ない人数で、多くの精神疾患のある人たちをケアするという営み自体に、無理がある。普通の人たちに、対処しきれないストレスがかかっていたのではないか。それを何とかするのが上司の最優先業務のはずだが、それが機能していたのか。専門職の前に人であるということと、組織は向き合えていたか。


精神科とは不思議なところで、診断における明確な基準に乏しい場合が少なくない。
入院相談は毎日くるが、判断において病状はもちろんあるが、家族や施設、地域の困り感ということも重要な判断材料になる。

以前私が見学に行かせてもらった杉並の重度障害者グループホームでは、強度行動障害の男性で、電球を見つけると外して食べてしまうという人がいた。そんな人でも、入院することなく地域で生活している。(世話人さんたちの苦労は計り知れない。)

精神科病院に入院するということは、大きな選択だと思う。メリットがあれば、たくさんのデメリットもある。本人は入院したくない。周りは、もう限界、何ならずっと入院させてほしい。精神科の入院相談では、この形が少なくない。PSWとしてどう立ち回るべきか、毎回悩んだ。

目に見えない疾患なだけに、間違った理解が広まってしまいやすい病気だ。都合のいい解釈をして、自分には関係ない、なるべくなら関わりたくないと考える人もいるかもしれない。
糖尿病や心筋梗塞といったいわゆる5大疾患の中で、精神疾患は断トツ1位で患者数が多い。生活習慣病より遥かに身近な病気ということになる。そして日本は世界で断トツ1位に精神科病床数が多い。社会的入院も多い。障害者権利条約に批准している日本は、国連からなんとかするよう再三勧告を受けているが、かといってこの問題は、国や病院や、我々PSWだけが抱える問題ではない。精神疾患や障害に対して、私たち市民が、どれだけ当事者になれるか、ということは大きい。


最近、自分の中で少し心境の変化があることを感じる。

いままで、関心のあるテーマというものが、分からなかった。というより、意図的に持たないようにしてきた。

学生時代は、いろんな経験をさせてもらった。社会人になってからも、はじめは地域で、知的、身体障害の人と関わった。いまは病院で、精神障害の人と関わっている。児童や高齢というのはライフステージだから、当然障害児や認知症の人とのかかわりもある。

私は対人援助を生業とするわけで、関心あるテーマを設定してしまうと、自分が見たい形でしか世の中をみれなくなってしまうような感覚というか怖さがあって、とにかく選り好みしないよう、どんな人でも、なんでも見るようにしてきた。どこにいるか、誰と関わるかはどうでもよくて、そこで自分が何を感じるのか、どう考えるのか、何をするのか、それだけだった。

ところが最近、「偏愛」という言葉が気になる。
いままで選り好みしないことを貫いてきた反動なのか、選り好みして偏って、とことん深めてみたところから見る世界がきになるようになってきた。また、それは必ずしも、視野を狭めるとは限らないのではないか、とも感じるようになってきた。

思えば大学1,2年の一番無知なときが、最も偏愛的だったかもしれない。
死別、緩和ケア、グリーフケアといったテーマばかり考えて、本を読み漁り、ホスピスでボランティアもしていた。死とは何かということが知りたかった。
それから、実習に行ったりいろいろ勉強するにつれて、自分の中のこだわりはどんどん薄まっていき、浅く広く福祉を知りたいと思うようになっていった。
けど10年くらいして、また関心を狭めてみたい気持ちになっている。自分でもわからない、自分の中の心境の変化というのは、不思議だ。

友人からの誘いにのって、いったん障害は離れるが、4月からは高齢分野に所属させてもらおうとおもう。
自分の関心と向き合い、「偏愛」的に深めてみたい。

そしてその先、それを形にしてみたい。
これは、前向きな転職の理由になるかな。

2年間、たくさんの人にお世話になりました。感謝です。

2週間くらいリフレッシュして、4月からまた頑張ります

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