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フラダンスを図解する。 【②歴史編】

前回、ざっくりしたフラの種類を図解で説明しました。(もし興味のある方は、合わせてどうぞ🌺)

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はじめに

これは20世紀を代表するフラダンサー、レイウの言葉です。

ハワイとはフラであり、フラとはハワイだ
( Hawai'i is hula and hula is Hawai'i )

この言葉は人々に広く受け入れられていて、ハワイとフラの強い結びつきが感じられます。

ですが、このような意識がハワイの人々にとって共通のものになったのは、実は比較的最近のこと。
ここにたどり着くまで、フラは苦難の道のりを歩んできたのでした。

😥 😥 😥

18世紀以前から現代までの流れを、大まかにまとめた図がこちらです。
(ちょっとサイズが小さくなってしまいました😭)

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こうしてみると、フラが外国からの影響を大きく受けて、めちゃくちゃ波乱万丈な道のりを歩んできたことがわかりますね。
この図解を手がかりにして、時代別に詳しく見ていきます。


【〜18世紀】 儀式でもあり、文学でもあったフラ。

「メレ」と呼ばれる祈りを全身で表現するフラは、厳格で神聖な儀式として古くから大切にされてきました。
また、長いあいだ文字のなかったハワイでは、踊りや口承で歴史と文化が伝えられていたため、フラはその伝承に欠かせないものだったようです。

「フラこそがハワイの文学である」
文字のないハワイでのフラの存在価値に感銘を受けた、文化研究家ナサニエル・エマソンの言葉。

(私もフラを始めたとき、「波」「ヤシの木」「あなた」など、動き一つ一つに意味が込められているのに驚きました。物語性があってとてもおもしろいです😌 👍 )


【19世紀前半】 衰退する伝統。

この頃、欧米諸国の人々がハワイを訪れるようになり、少しずつ他国との交流が増えてきました。
そんな中、キリスト教の宣教師たちは公共の場でのフラ禁止令を出します。
これは、以下のような理由によって発令されたと言われています。

なぜフラを堂々と踊れないの?🤔**

・みだらな悪のダンスだから🙅‍♀️**
肌を露出して腰の動きを強調する「野蛮な文化」として敵視した。
・キリスト教との相性が悪いから🙅‍♀️
一神教であるキリスト教に対し、ハワイの神々を連想させるフラは危険視された。また、フラがハワイの人々の生活に深く根付いていて、新しい価値観を広めるのに不都合だったため。

人々の生活に欠かせなかったフラが、他国によって否定されて隠すべきものになっていく。ハワイアンとしてのアイデンティティも否定されたような気持ちだったかもしれません。
欧米諸国が持ち込んだ伝染病の影響も重なり、フラ人口は急激に減っていくことになってしまいます。


【19世紀後半】息を吹き返す&アウアナ誕生。

この窮地を救ったのは、ハワイの王様、カラカウア大王でした。
彼が君主を務めた期間は、古典文化復興の時代と呼ばれています👏
フラへの抑圧に真っ向から反対した彼は、ハワイアンの伝統と誇りを取り戻すことに尽力しました。
自分の戴冠式や誕生日の式典でフラを堂々と披露させるなど、フラの復興に大きく貢献したエピソードが有名です!
他にも古来の詩や物語を記録に残したり、歴史調査をしたりと、カラカウア大王はハワイ文化の復興に深く関わりました。

彼自身、音楽と踊りを愛するとっても明るい人だったそうで、メリー・モナーク(陽気な王様)として人々に親しまれていました。フラの最大の祭典「メリー・モナーク・フェスティバル」の名前は、彼にちなんで付けられています。

また、このころウクレレやギターなど欧米発祥の楽器がハワイに入ってきた影響で、現代のフラのイメージに近いアウアナが生まれました。


【1898年】 王朝の滅亡。

カラカウア大王のおかげで盛り上がっていたはずのフラですが、再び危機的な状況に陥ります。
力を付けてきていた欧米出身の白人エリート層と女王リリウオカラニが対立し、ついにはクーデターを起こされ失脚、その後ハワイはアメリカ合衆国に併合されてしまいました。
(ハワイ王国最後の女王、リリウオカラニの歌「アロハオエ」は有名ですね。世界史の教科書にもチラッと載っていたりします。)

併合後、ハワイの人々はこれまで以上に「ハワイアンであること」を否定されたようです。フラを踊ることも、ハワイ語を話すことも「西洋的でない」という理由で禁止され、破った場合は罰を受けなければなりませんでした。

ネイティブハワイアンの子どもたちが通う学校でさえ、「教養のあるハワイアンはフラなどするものではない」という意識が持たれるようになりました。
否定され、禁止され続けた影響で、ハワイの人々のフラへの価値観は少しずつ変わっていったのかもしれません🤔


【20世紀前半】エンタメ化するフラの「受難の時代」。

20世紀前半はフラの受難の時代とされています(これまでの時代もかなり苦しいものに見えますが😢 )。

この時代、ハリウッド映画などの影響で、偏ったフラのイメージが世界中に広まってしまったのです。
映画の中で過度に演じられたフラは、ハワイの伝統とはかけ離れた「セクシーでエキゾチックなエンタメ」として人気を集めていきました。

アメリカに併合され観光地化したハワイでは、観光客の目を楽しませるエンターテイメントとしてのフラが毎日披露されました。
お客が理解しやすいような英語のラブソングに合わせて、若い女性がセクシーに踊るフラ。観光客の目を楽しませるためのフラは、伝統的な文化の誇りや本質からは離れていってしまうものでした。


【20世紀後半】 目を覚ますハワイアン。

そんな中。
堕落していたフラの価値が見直される転機が、ついにやって来ます。

きっかけになったのは、アメリカ本土で盛んになっていた公民権運動。
黒人の権利回復などを目指す運動が盛り上がりを見せるにつれて、ネイティブ・ハワイアンの人々にも自分たちの文化やアイデンティティを見直す意識が高まり、一大ムーブメントが起こりました。

これを伝統回帰運動(ハワイアン・ルネサンス)と言います。
ハワイ語や伝統的な農業・漁業方法、そしてフラなどの伝統文化を復活させよう!という動きが起こり始めます。

この運動を通して、ハワイの人々はもう一度フラのような伝統文化の価値を改めて見直し、その重要性が広く認知されるようになりました。

これまで陰に追いやられてきた、伝統的なフラを継承する数少ないフラダンサーたちは次の世代の育成に尽力しはじめ、フラ人口は再び増加していきます。
そして、フラはハワイアンのアイデンティティであるという意識が、ハワイの人々に取り戻されていくことになるのでした。


【〜現在】国内外で広がる、ハワイの伝統文化。

今、フラ人気は国内外に広がっています。
日本の中でもフラ教室やフラレッスンの広告はどこにでも見ることができますし、高校や大学のフラダンスサークルもかなり増えてきています。

ハワイでは、今年もフラの最大の祭典である「メリー・モナーク・フェスティバル」が(無観客ではあるものの)開催される予定です。
1964年から始まったハワイアンの誇りを全世界に伝えるこのフェスティバルは、国内外にかかわらずたくさんの人を熱狂させています。

ハワイとはフラであり、フラとはハワイだ
( Hawai'i is hula and hula is Hawai'i )

この言葉が私たちにとっても自然に感じられる今、たくさんの困難を乗り越えて、フラがハワイの伝統文化の象徴として確立していることが実感できます。


おわりに

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!🙏

フラのこと、ハワイのこと、知ってるようで知らないことばかりじゃないかな、と思います。
図解の力を借りて、少しは興味を持っていただけたでしょうか。

フラという伝統文化は、ハワイの地で起こった出来事と人とものすごく密に関わっているものなんですね。どんな困難や抑圧があっても、決してフラを絶やさなかったことが本当にすごい。
そして、それだけフラがハワイの人々にとって大切で、「自分たちらしさ」といったアイデンティティと結びついているということなのかなと思いました。

個人的には、苦しい道のりを乗り越えてハワイの人々がつないだフラが、今、日本の一学生である自分の大好きなものになっていることがすごく不思議です。そして、嬉しくてありがたいことだなあと実感しています😌

ハワイアンミュージックやフラのパフォーマンスも、本当に心に沁みるものがたくさんあるので、もしよければ触れてみてくださいね🌺 


参考文献 / URL
矢口祐人「踊る東大教授が教えてくれた ハワイとフラの歴史物語」(イカロス出版、2005)
アロハプログラム(https://www.aloha-program.com/
「歴史に刻まれたフラの光と陰」 
・「最も古いフラの記録~カラカウアのフラ復活」
「カヒコとアウアナ」
「20世紀のフラ~前編」
「20 世紀のフラ~後編」
「現代のフラ」