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多様性とローカリゼーションの親和性について

 雑誌や新聞ネット至る所に「多様性」の文字が昨今あふれているが、そのスポンサーはほぼほぼ弱肉強食画一性のグローバリスト(つまり多様性と真逆)の手先なので笑えない。
 アメリカのアフガニスタン撤退で、趨勢を知った賢い人はグローバルの時代は終わりこれからはローカリゼーションの時代が来ると知った矢先ロシヤ・ウクライナ戦争が始まってしまった。
 グローバリゼーションとは平時にこそ通用する主義であり、戦争が始まってしまったら自由貿易などできないことは誰にでもわかる。
 日本を除く世界では危機感からもう地産地消のローカリゼーションは始まっており、しかし日本はいつも何か間違っていてやれ昆虫食だ、酪農廃業だ、などとビルゲイツの手先のようなグローバル政策に邁進している。
 すべては規制緩和が原因だ。昭和の昔は休日、駅前商店街には多様な商店があり休日は人でごった返していたものだ。あの頃は商店街の周りに外資を規制する法律があってイオンとかトイザらスとかコストコとか参入できなかったが、それが緩和されて外資が参入したら個人商店はつぶれていった。
 今の日本人はこう言う人が多いだろう「つぶれていった個人商店の経営努力が足りなかったんじゃあない?」
 いつから日本人は同胞に対してこんなに冷たくなったんだ?
 競争とグローバルとはほぼ同じ意味だが普通に考えたらなぜ規制緩和して世界と競争させる必要があるのか?私にはわからない。競争したらより良い製品が安くできるとでも思っているんでしょうか?私は安定した社会でしか安定した製品は出来ないと思うのですがね。
 例えば日本の発酵食品。味噌、醤油しょっつる(魚醤)鮒ずし、日本酒、漬物、納豆、いずし、塩辛。
 日本人の物づくりは緻密で多様性に富みもっともグローバルとは相いれないものなのでグローバルな価格競争に勝てるわけないのだ。
 アメリカ様のそれはイーストとバーボンくらいしか思い浮かばない。大量生産に向いているものばかりだ。
 グローバルとは一部の勝者と多数の弱者を生み出す画一化そのものでローカリゼーションと対極なものであることがわかるであろう。
 ローカリゼーションによる地産地消はその国の安全保障そのものでありその多様性こそが国の礎であると思う。
 画一的なダイエーのシャツが衰退していったように多様性はこれからの時代、価値そのものだ。
 10月に始まるインボイスによって多様性そのものである個人商店やフリーランスや声優やイラストレーターはどうなってしまうのだろう?(ちなみにインボイスというのは簡単に言うと売り上げ1000万円以下の免税事業者に粗利に10%課税するという弱者切り捨ての悪法です)
 日本政府のやっていることはすべて多様性を否定するグローバリゼーションの権化だ。
 まさに言っていることではなくてやっていることがその人の正体だ。


 
 


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