伯父の借金、愛人さん問題は 借金に関しては、親戚知人から借りた分に関しては祖母、祖父、母(私の積立も含む) を使って返済 金融などから借りた分は、返済計画を立てたそうです。 因みに私の積立も使われていたのは最近知りました。 ちなみに伯父の娘たち(私の従姉妹)の積立はそのままだったそうです。 そして、愛人さんの件はうやむやになりましたが 伯母とは別居が始まりました。 また、従姉妹を大事に大事にして 世間体が大事な大事な祖母ですが 愛人さんと仲良くしていた従姉妹たちを
長らくお休みをしてしまいました。 気にしていただいている方がいましたら 申し訳ありませんでした。 続きをどうぞ 実家の家族に不穏な影・・・。 伯父に莫大な借金が発覚しました。 しかも、外に女の人まで・・・。 借金は銀行、親族、会社関係などなど、すごく広い範囲で借りていたらしいです。 総額はここでは言えませんが後に本家と土地を売却することになります。 お金を貸してくれた何人から返済要求が本家に届き発覚したとか。 会社の経営が良くなかったこともありますが、 どうやら
大学は工学部でしたので、クラス中女子は9名 2グループになりました。 なんとかそのうちの一つのグループに入ることができました。 そして、そこにしがみ付くのに必死でした。 が、会話に入れない。 間がもたない。 自分の意見発言ではなく 常に人の顔色を見ての発言、態度 放っておいてもらえればよかったのですが グループの一人に虐められました(笑) しかも、その一人は学生寮で一緒のクラスメイトでしたので 学生寮でもなんとなく仲間外れ?にされました。 なんでしょうね・
やってきました、北海道(笑) 一人暮らしする気満々でしたが 北海道へ行く条件として出されたのが まずは学生寮に入ること でした。 安心なような、面倒臭いような・・・ が、そこは譲れないとのことがあったので 従いました。 まずは大学の近くで探しました。 家を出れるならば、どこでもいい と思っていましたが、実際に見学に行くと 欲が出るものですね ^^; 結局は札幌駅近くの学生寮に決まりました。 初めての土地、初めての一人 不安とドキドキとの新生活が始ま
私が決めたことは ◯家族が簡単に来られないところ よし、海を渡ろう!(この時私は川崎市に住んでおりました。) この頃、小学校の頃の家庭教師の先生のおかげで 数学だけは大好きでしたので ◯理系の学部があるところ ◯少しでも興味がある分野があるところ ◯そして、私の脳みそで入れるところ 将来を考えて安易に看護師と思ったりもしました。 なんとなく受験はしましたが、全滅。 そしてたどり着いたのが 札幌の大学です。 そこのみ合格通知をもらいました。 ずっと東京
大学進学を決めた私ですが 成績は下の下でした(笑) 自分でも入れる大学 母はすでに推薦で入れる大学を探していました 私の将来をどう考えたいたのかは全くわかりません 準備された大学は 家から1時間以内の女子短期大学です。 何学部があって、どういったことが学べるのかは不明でした そもそも、この頃は母に心を打ち明けることはなく 母との会話は 私からは、挨拶または報告 母からの話しかけには返事はしていましたが ほとんどがYES or Noです。 そして、Noは
高校三年生の夏休み直前 「大学へ行きなさい」 と言われました。 青天の霹靂です・・・は嘘です。 言われるだろうなと思っていました。 そして、私の高校を卒業したら自由に生きる!! の熱意も覚めていました。 覚めたと言いますか 働く勇気もなく 自立をする努力もしませんでした。 楽な方へ逃げました。 周りには、 働こうと思っていたのに。 自立しようと思っていたのに。 と口では言いながら 自分で大学進学を決めました 続く
私が人にましてや従姉妹に 出て行け などと言えるはずがないことは 生活を見ていれば分かりそうなものですが 恐らくそんなことはどうでも良いことだったのでしょう。 母は従姉妹の一人を特に目をかけていました。 毎月、送金と積立(が分かったのは随分後のことですが)をするほどに・・・。 私にはありませんでした積立(笑) 私の帰る家であり、私の部屋だと思っていた所は どうやら、そうではなかったようです --;; このことがあってから 早く家を出ようと考えるようになりまし
どうやら、従姉妹は置き手紙と家の合鍵をダイニングテーブルに残し 家を去っていたみたいです 置き手紙には、 私に家を出て行けと言われたから出ていく、二度とこない といった内容が書かれていたそうです 母は私に 「◯◯ちゃん(従姉妹の名前)には、もういる場所が無かったのに、なんて酷いことをするのだ!可哀想だと思わないのか!あんたが出て行け!!」 と怒声を飛ばしました。 意味が分かりません。 後から分かったことですが 我が家に来ていた従姉妹は、実母とうまく行っておら
従姉妹が私の部屋でCDをかけながら漫画を読んでいました 私はびっくりして 「なんでいるの?」 だったと思います、声をかけました すると、机の上の筆入れを投げつけられ 何かを叫ばれました 何と叫ばれたかは覚えていないのですが 罵倒の言葉だったと思います。 従姉妹は私の部屋のCDやら本やらを投げた後に 扉のところで呆然としていた私をおしのけ リビングへ 私は訳がわからず、どうすることもできませんでした リビングからも大きな音が聞こえ その後、玄関の扉が凄い勢い
学校で、そんな生活を送っていたところ 家で とあること 私にとっては、母との関係を諦める事態が起きました ある日 家に帰り玄関を開けると 中から音が聞こえました。 鍵はかかっていて、私が開けました。 母はまだ仕事のはずで 誰かが来る話も聞いていませんでした。 ビクビクしながら家に入り確認をすると 私の部屋から音が聞こえてきます。 聴こえてくるのは大黒摩季さんの あなただけ見つめてる でした。 恐る恐る見ると 続く
そんな私でしたから 苦痛だったのが、登下校、イベント事、修学旅行等、 グループで食べるお昼 今思うと、お昼ご飯を好きな人同士で食べる と言うシステム?は私みたいな人間にとっては 辛いものでしかありませんでした。 これが、自分の席で、だったらどれだけ楽だったか もしくはグループが決まっているなど。 元々仲の良い人達の中に混ぜてもらっているので グループの中での孤独。 もうこれは本当に孤独です。 よく、 「それ、一口ちょーだい!」 「私も〜!」 なんてやりとり
この時の私は、 『私と居てもつまらない思いをさせてしまうだろう』 『私に一緒に帰ろうなんて言われたら皆嫌な思いさせるだろう』 と思っていて、声をかけることもできませんでした。 私が声をかけたら、その場が凍りつくと本気で思っていたのです。 声をかけたこともないくせに。 たまに何人かの人が 一緒に帰ろう。 と声をかけてくれました。 そんな時は、飛び上がるほど嬉しくて この人はなんて良い人なんだ!! 私に声をかけてくれるなんて。優しい人だ。 この人に嫌な思いをさせ
中学生になると、私は母の実家へは行かなくてよくなっていました。 母の実家とは別のところに住み、私は鍵を与えられました。 部屋も与えてもらいました。 ・・・まぁ、母の荷物がいっぱいな部屋でしたが (--;) やっと他の子供達と比較をされることもなく過ごせる と思ってしまっていたのです。まぁそれは間違っていたのですが。 実を言うと中学・高校の学校内での記憶はあまりないです。 クラブ活動や行事にはあまり力を入れている学校ではなかったので 何事もなく過ごしていたように思
結局、中学校は私立へ行くことになりました。 中高一貫の学校で母が決めた学校でした。 母曰く大学までついている学校にして欲しかったみたいです。 なので、なぜその学校を選んだのかは謎です(笑) 当時は何の疑問も持っていませんでしたが 自分が望みもしていない学校へ行くって 結構なチャレンジだよなと今は思います。 制服は可愛かったけど、私には合っていませんでした(笑) ただ、そこには塾で知り合った子が一人いました。 その人とは、なんといまだにお付き合いがあります。
私を救ってくれた大人三人 ・小学生5、6年生の担任の先生 ・小学校高学年時の音楽の先生 ・中学受験のための家庭教師の先生 でした。 今になって思うことは、 人との出会いは物凄く大事であるということ。 さて、小学校を卒業し中学生になりますが このお受験が私にとってどう影響したのか をお話ししていきたいと思います。 言われるがまま訳もわからずに通った塾でしたが その中でも、ありがたい出会いがありました。 塾を変えることは環境が変わることであり 新しい人との出