【短編小説】オペラグラスのアイドル
今、私の動きは完全に止まった。
と言っても帰らぬ人となったわけではない。
動きが止まるほど信じられないことが目の前で起こっているのだ。
なんと、俺様キャラの響くんが目の前にいる。悲しかった気持ちが一気に吹き飛んだ。
来週日曜日に行われる待ちに待った一本のライブ。そのライブは、ここ二年間私がずっと応援してきたご当地アイドル「空色和音」のコンサートだ。
「空色和音」は、ご当地アイドル全盛期に、ここ水空市が立ち上げた男性二人組のアイドルユニットで、二人とも私より三つ年上の大学生だ。
二人ともイケメンでかっこいいが、一人は穏やかで癒し系の律くん、もう一人はやたらと格好つけたがる俺様タイプの響くん、とそれぞれキャラがある。私の推しは、もちろん前者の癒し系、律くんだ。
なんとか両親を説得することに成功し、今回初めて彼らのライブに参戦することになった。なので推しの律くんを間近で見ようと、今日、家電量販店で一個のオペラグラスを買ってきた。貧乏な高校生なので安いものしか買えなかったけど、せっかく行くのならしっかりと推しの律くんを目に焼き付けたかったのだ。
そして、そのオペラグラスを今、部屋で試しに覗いてみたところ、覗いた先になんと彼が見えたのだ。私の推しじゃない方の俺様キャラの響くんが。
背景は私の部屋なのだが、そこに彼だけが転送されてきたかのように存在している。まるで、ポケモンGOでポケモンが現実世界にいるかのように見えるARみたいだ。
どうやら向こうはスマホのカメラを通してこちらを見ているようだ。
「え?誰?」
響くんが問いかけた。
「は、はじめまして……」
何が起こっているのか分からず、いきなり名乗るのも怖いので挨拶だけ返した。
「何これ、どうなってんの?もしかしてそっちからも俺がARみたいに見えてるの?」
「……ということは、私もそちらの背景に現れてるのでしょうか?」
「うん、今俺らの楽屋にいるよ、君」
「ええーーーーっ?!」
『空色和音』の楽屋に私が?!
「そっ、それって律くんにも私が見えてるってことですか?!」
私はつい興奮してしまい、オペラグラスを覗いたまま乗りだして率直な質問をしてしまった。
「律のファンなのね、君」
若干冷めた様子で響くんが言った。
「は、はぁ、すみません……」
私は申し訳なくなり謝罪した。
「残念ながら、律は今この部屋にいないから、君の姿が見えてるのは俺だけ。俺は今、自分のスマホを録画モードにしたところ、オペラグラスを覗いてる君が映った。楽屋に新種のポケモンが現れたかと思ったよ」
そう言って彼が笑った。
「あっ、私もそう!ポケモンかと思った!」
同じ感想を持ってたことが嬉しくて、私も笑った。
普段、地元のローカルテレビに出演している彼を見てても、クールにカッコつけたところしか見たことがなかったから、無邪気に笑う姿に少々面食らった。
「オペラグラス覗いてるってことは、もしかして、来週のライブ来てくれるの?」
彼がペットボトルに入った手元の水を飲みながら問いかける。
「はい、初めて行くんです。そして……それを最後にしばらく行けないかも……」
「え、そうなの?なんで?」
彼が水を机に置いてこちらを見た。
「私、今高三で来年受験なんです。今回のライブもやっとのことで親を説得して行けることになったけど、それを最後に大学合格するまで推し活は一切禁止っていう約束になってしまって……」
「そうなんだ」
私はさっきまで抱いていた悲しい気持ちを思い出してしまった。ライブが終わったら現実に戻されてしまう。今まで推しの存在があったから頑張れてたのに、ライブ後のことを思うと不安になる。
「そっか……君の人生で今がいちばん大事な時なのかもね。そのタイミングで君の人生に立ち会えたのは幸せだと思ってるよ」
それどこから持ってきたの?とツッコミたくなるような、いきなりのカッコつけた台詞に私は思わず言った。
「キザだなぁ」
私は笑った。
「失礼な!かっこいいだろうが」
「そういうとこですよ。響くんが律くんにファンの数負けてる原因」
笑い続けたまま私は言った。
「ハッキリ言うねぇ、勉強になるわ」
メモをとるジェスチャーをしながら彼が言う。
「そういう面白いとこ前面に出せばいいのに」
「なるほどな~、そっか」
いつの間にかダメ出し大会になってしまった。ついさっき初めて話したばかりなのに、なんでこんなに打ち解けてるんだろう。私の推しじゃない方なのに。
そんなことを思っていたら、彼の後ろから声がした。
「ごめん、呼ばれたみたい。じゃあ、ライブでね。勉強がんばってね」
「あっ、ありがとうございます!ライブ楽しみにしてます!」
「じゃあね~」
手を振りながらそう言って、彼はテレビの電源がオフになった時のように一瞬で消えた。
……なんだったんだろう、今のは。
私はオペラグラスから目を離し、辺りをキョロキョロと見回した。だけど見えるのは、いつもの見慣れた自分の部屋だけだった。
夢でも見てたのかな……
瞬きをしても、オペラグラスを覗き直しても、もう響くんの姿は現れなかった。
ライブ当日になった。
あれから何度かオペラグラスを覗いてみたけど、やっぱり響くんはもう現れなかった。
私がオペラグラスを覗いている時に、向こうもスマホで録画モードにしないと見えないのかもしれない。
だからと言って一日中オペラグラスを覗き続けることは不可能だし、向こうだって自分じゃなく相方を推してるファンをわざわざもう一度見たいなんて思わないだろう。だから繋がらないのも無理はない。
ライブが始まり、響くんは普通にステージに登場した。なにごともなかったかのように、普通に歌い踊っている。
私は最後のライブということで神様のお情けからなのか、前から六列目という肉眼で充分見える席だったため、オペラグラスは持ってきていたが使ってなかった。一緒にライブに来ている沙織ちゃんと、興奮状態で私達も歌い踊った。
曲の合間に沙織ちゃんが言った。
「ねぇねぇ、今日の響くん、いつもより面白いよね。いつもカッコつけたキザなヤツって思ってたけど、お笑いのセンスありそう。こっちの響くんの方がいいよね!」
もしかして……
私はあの時のことを思い出した。
『そういう面白いとこ前面に出せばいいのに』
『なるほどな~、そっか』
あの時ダメ出ししたことを響くんは覚えていて、
より良い自分になるように努力してる……?
……いや、まさかね。
あの日のこと自体、夢だったんじゃないかって思ってるくらいだし。ありえないよ。
私はステージ上の響くんを見つめた。
ライブも中盤になり、トークのコーナーに入るのか、ステージが明るくなった。左右両方の袖から、二人がステージの中央に歩いてくる。
響くんは、左手に持ったスマホを客席に向けながらゆっくり歩き、右手にはマイクとうちわを持っている。視線はスマホ画面から離さない。
「なに?客席撮影してんの?」
推しの律くんが、響くんに尋ねる。
「みなさん聞いてください、おかしいんですよ、この人」
律くんが客席に向かって話し出した。
「ここ一週間ほどなんですけど、この人、暇さえあればスマホを録画モードにしてそこらじゅうに向けて録画してるんです。何撮ってるのか見せてもらったんですけど、何も特別なものは映ってなくて。変なヤツでしょ~」
へん~
響くん、謎~
会場のファンから愛情あふれるイジリが飛ぶ。
「いいじゃん、今日は映るはずなんだから。
おーい、出てこーい、ポケモーン」
「なに?ポケモン探してんの?」
会場が笑いに包まれる。
「いるんだよ。
この俺にダメ出しする珍しいポケモンが、この会場に。おーい」
響くんが客席にカメラを向けて、なめるように動かす。
私はステージを見たままカバンに手を伸ばした。
指先に触れたオペラグラスを取り出す。
あれは、
オペラグラスの中の響くんに会ったあの日のことは、
夢じゃなかった。
私は震える手でオペラグラスを目の前に持ち上げ、覗きこんだ。
ポケモンを探していた響くんのスマホが、こちらに向いたまま動きが止まる。
「発見」
響くんはそう言うと視線の先からスマホを外し、カメラを通さずにこちらを見た。私もオペラグラスを目から外して響くんを見る。
どんなポケモンがいるのー?
響くん、あたしにも見せてー
客席から黄色い声があがる。
響くんが右手に持っていたうちわをこちらに向けて掲げた。うちわに何か文字が書かれている。
私は目をこらしてその文字を読んだ。
『勉強がんばれ』
響くんがうちわをひっくり返す。
『1年後にまた会おう!』
「ちょっと響~、俺らの次のライブは一年後?来月もあるんだけど」
律くんが困ったように響くんに話している。
私、いま気がついた。
今日のライブ、推しの律くんじゃなくて、響くんばかり見てる……
響くんが空いてる方の手で拳を握り、ガッツポーズをした。
私は響くんを見たままうなずき、笑った。
私、頑張ろう。
また一年後に推しに会いに来るために。
ステージ上では、二人が次のトークを繰り広げている。
私はオペラグラスをカバンに戻し、スキの比率が5:5となった二人の推しを目に焼きつけようと、再びステージを見つめ続けた。
(了)
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