能登に関するテレビ番組を観て感じたこと
昨年12月にNHKBSスペシャルで「まけんぞ~能登 孤立集落の一年~」という番組が放送されました。
この番組で取り上げられた地域は私も何度も記事に書いた「連続テレビ小説 まれ」の舞台となった「輪島市 大沢町」。
大沢町は我家にとっても思い出の場所ですが震災後は行けていない場所の一つです。
この番組を観て改めて能登について感じたことを書きますので、良かったらお付き合い下さい。
見出しの写真は2018年11月に初めて大沢町を訪れた時のものです。
「連続テレビ小説 まれ」の思い出を追って2018年に初めて大沢町を訪れてから何度も西保公民館にあるドラマの貴重な資料やロケ地でもある町の景観を楽しませてもらってました。
「輪島朝市」で知られる河井町には「ドラマ記念館」や数々の撮影スポットがありますが、大沢町は登場人物をよりリアルに浮き立たせてくれるような趣のある町でした。
しかし昨年の元旦の地震でこの辺りの地域も甚大な被害をうけ私も足を運ぶことは出来ていませんが、テレビ番組やYOUTUBEにアップされた映像を拝見して本当に恐ろしい現地の様子に言葉を失いました。
それでも町の方の何人かは町に留まり、あるいは避難所から通い町を復旧させるべく奮闘されていました。
そこに地震を更に上回る被害をもたらした9月の豪雨・・・
画面には川が氾濫し町を破壊し海底が隆起した漁港を更に土砂で埋め尽くす様子が映し出されました。
そして町の方の「壊滅や・・・」という言葉・・・
もう「いいところだから」とか「復旧復興を頑張って」などという言葉には何の意味もないと感じさせる現状・・・
それでも(そこに住んではいない者の勝手な言い分とは思いますが)番組後の土屋太鳳さんのSNSでの投稿は「まだ終わりじゃない」と思わせてくれる光だと感じました。
先の写真の公民館には「まれ」の資料と一緒に「まれ日記」なるノートが置かれていて訪れた人が自由に書き込みが出来るようになっていました。
そのノートは震災後に土屋太鳳さんが預かっていて無事だそうです。
豪雨の映像はやもすると県外から応援する者の心も折られてしまいかねない衝撃的なものでしたが、土屋太鳳さんの投稿を観て時間が掛かっても、どの様な方向に向かおうとも能登の人達を応援したい・・・と改めて思いました。
昨年末から年始にかけて能登に関する番組を幾つか観ながら能登を大切に思う理由・・・そして経済的合理性で地域の将来を語ることへの反感は何故感じるのか・・・を考えていました。 そしてそれは・・・
能登では普段から多くの方達が、海や山の恵みを得て、田畑を耕し暮らしています。 それは正に生きる力であり、災害時に孤立した集落の方達はそういった力で命を繋ぎました。
それがもし私の在住する東京だったらどうなるだろう?
ライフラインが切断され移動もままならなくなったとき何日も生き延びることが出来るだろうか?
そして現在住む町が復旧出来ないとなった時どこへ行けばいいのか?
それを考えた時、能登のような場所が日本からなくなったら、これからも何時か何処かで起きる災害時に我々は生きる術を失ってしまうのでは?
決してノスタルジーだけではなく、そんな生きる力をもった場所を失うことへの懸念を感じているからだと思うのです。
能登を愛する人はみんなきっと(自信では気づいていなくても)そんな力を感じているのではと思います。
土屋太鳳さんは「まれ日記」を預かるとき大沢町から「まれ」がいなくなってしまうようで躊躇したものの住民の方の願いを聞いて預かることにしたそうです。 何時かまた大沢町に日記を置く日まで・・・
私も諦めません。 また「まれ日記」出会えて、そこに思いを書き込める日が来ることを!
読んで頂いてありがとうございます。
良かったらまたお付き合い下さい。