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2024年の能登を振り返って・・・

昨年元旦に能登を襲った震災から一年・・・ 能登に関する報道も多くありましたが、私も今一度能登の事を振り返ってみたいと思います。
依然の投稿と重複する内容もありますが良かったらお付き合い下さい。
見出しの写真は昨年7月5日に開催された能登町宇出津の「あばれ祭り」の様子です。

私が震災後初めて能登に行ったのは昨年4月半ば・・・金沢から「のと里山海道」を走り半島の奥に向かうにつれて激しくなる道路の損傷状態に恐怖を感じました。
そして一般道に降りると目に入る更なる衝撃的な光景に恐怖を通り越して「ここは一体何処なんだ?」と思いました。
呆然と運転しながら道路の亀裂や飛び出したマンホールにハンドルを取られ我に返る・・・
そんな感じで何とか奥能登へたどり着くことが出来ました。
4月の訪問では能登町宇出津の友達宅に泊めてもらい能登の何ヶ所かを廻ることが出来ました。
たとえ足を運んだところで私に何か出来る訳でもありませんでしたが、限られた範囲とはいえ親しくなってくれた人に実際に会えたり、好きな場所の現状をこの目で見ることが出来たのは良かったと思います。
この時の能登は桜や菜の花が満開になっていたことを思い出すと災害が無ければ昨年の能登は何時にも増して美しい風景を見せてくれたのではないか・・・と悔しい思いが込み上げてきます。

7月~8月・・・夏の能登は町ごとに伝統の様式を伝えるそれは勇壮な「キリコ祭り」の季節です。
私も能登のお祭りに心を奪われ毎年楽しみにしていた者の一人です。
昨年夏も能登の友達の計らいで宇出津の「あばれ祭り」ではキリコを担がせてもらい、輪島市鳳至町ではのキリコの巡行を見ることが出来ました。
開催には賛否があったこととは思いますが、ある方が「町は必ず復興させる。その為には祭りが必要なんだ。」と語っておられました。
能登の夏が皆が心からお祭りを楽しむことが出来る季節になるように願います。

9月21日に能登半島を100年に一度と言われる規模の豪雨が襲いました。
1000年分の海底隆起を数分の間にもたらした地震の後の豪雨・・・
報道で次第に明らかになる被害に言葉も出ませんでした。
すでに元旦の震災からこれ以上ないくらい頑張ってきた能登の方達・・・私も連絡をとってはみたものの何て声を懸けたら良いのか分かりませんでした。
この時私は現地の方達だけでなく、応援する人たちの気持ちも折れてしまうのでは・・・と不安になりました。
自分に出来ることは細やかなことですが、これからも変わらず能登を応援したいと思います。

10月に豪雨後には初めて能登に行きました。
市街地はかなり復旧が進んでいて車の走行にはそれほど支障はありませんでしたが、それでも道路わきに積み上げられた流木が被害の甚大さを物語っていました。
やっとの思いで営業を再開したであろう店舗に土砂が溢れる様子は本当に心が苦しくなりました。
会うことが出来た友達も明るく迎えてくれたものの皆疲労の色がより濃く伺えて体調などが心配で仕方がありませんでした。

11月には震災後初めて行く地域もありずっと気がかりだったお店に行けて、会いたかった人にも会えました。
そして震災後初めて家内も同行しての能登行きでした。
私達が行った時期は能登は荒天でこれから訪れる厳しい季節に能登の方々の暮らしがどの様になっているのか不安を感じました。
普段ならカニ漁も解禁になるこの季節は能登には美味しい物が並び海や山は美しい風景を見せてくれるはずでした。
穏やかな天気の時は美しい海も時化ると茶色く濁ってくる・・・そんな光景に悲しくもなりましたが、頑張る方達の姿や言葉にはこちらが力をもらう様な・・・そんな訪問になりました。

能登に滞在中に何時も行っていた輪島市河井町の本町通り・・・その変わり果てた光景に立ちすくむ私たちに土地の方が話しかけてくれました。
「最近車で鮮魚の移動販売をやってくれる人が出てきて、この近くでもやっと魚が買えるようになったのよ。」なんてお話を聞かせて頂き、さあ帰ろうかとなった時、その方が「ちょっと待ってね。」と言って買い物袋に手を伸ばすので何かと思ったら買ったお魚を分けてくれようとするのです。
私たちが旅行者でホテルに滞在しているのでと伝え遠慮すると「そうなの、ごめんね。」と言って帰って行かれました。
その背中を見て「こんな親切な人が何故こんな目に」との思いがあふれました。

震災から一年という節目に思ったことを記事にと思いましたが、まとまりのない物になってしまいました。

能登についてはまた後日書きたいと思いますので良かったらお付き合い下さい。




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