ラブコメ映画『羊とオオカミの恋と殺人』は人が死にまくる血みどろのスラッシャー映画だった!
羊とオオカミの恋と殺人、滅多に観ない邦画のラブコメですがヒロインが殺人鬼で人が死にまくる血みどろのスラッシャー映画と聞き、興味を持って観てみた。監督が傑作スプラッター映画『クソ素晴らしいこの世界』の朝倉加葉子ということが鑑賞を一押したのもある。
あらすじ
大学受験に失敗し予備校もやめ引きこもり、ライフラインを絶たれ絶望した黒須(杉野遥亮)は、 壁につけたフックで首吊り自殺を図るもあえなく失敗。その弾みで偶然にも、壁に穴が空いてしまう。穴を覗くと、美人で清楚な隣人・宮市さん(福原遥)の生活が丸見えで・・・。その日から穴を覗くことが生き甲斐になり、どんどん宮市の虜になっていく黒須。しかし、ある日彼女が部屋で行っている凄惨な殺人行為を目撃してしまい、声をあげてしまう。目撃行為が見つかってしまった黒須はつい宮市に愛を告白。殺されるかと思いきや、結果彼女と付き合うことに!アルバイトも始め、デートをし、部屋では宮市の手料理を食べ、幸せ絶頂の黒須。しかし宮市は、黒須とのデート中も構わず殺人を犯し…。次は自分が殺されるのか?黒須の運命はいかに!?(公式サイトSTORYより抜粋)
正直な所、鑑賞前は好きになった相手が実は殺人鬼だった!なんて筋書きの物語は世にありふれたものだと個人的に思っているし、そこにラブコメのテイストを盛り込むなんて意外性要素もまあありがちだよなと冷めた目で見ていたところはあった。が、意外にもかなり自分好みの作品だった。
ヒロイン宮市の魅力
今作のヒロイン、宮市は清楚な美人女子大生。ルックスの良さだけでなく困窮した様子の隣人を自室に招いて手料理を振る舞う優しさも持ち合わせている。演じる福原遥さんの甘いけど甘すぎず透明感のある声も特徴的だ。ひょんなことから彼女の私生活を壁の穴から覗くことになる主人公、黒須。その様子は正直気色悪いけどちょっとえっちなラブコメディ的な味わいだ。
そして宮市は勿論男からはもてるが、身持ちが固い。また、黒須が彼女の部屋を覗いていることを知っても拒絶するでもなく、「私を覗いて」と返す。こんなのまるで男にとってあまりにも都合の良い理想的な女性ではないか……。
これで人を殺してさえいなければな!
本当の彼女は前述の通り殺人鬼だ。凶器のカッターナイフで獲物の首筋を切り裂くのがその手口。自室に連れ込んでは殺人、お外でも白昼堂々と頸動脈をカット。迷惑youtuberもKILL。
血避けの透明なレインコートを纏うのが殺人の合図だ。どうやら彼女は自分のルールに則り標的を決めているようで、その相手は老若男女の区別はなくどうやらろくでもない人間に狙いをつけている。
力技で相手をねじ伏せるのではなく、人間の身体構造を完全に熟知した必要最低限の動作で相手を抑えて仕留めていく。その技術は自分よりも体格・パワーの面では勝る成人男性すら容易く毒牙にかけるほど優れている。動きも舞踊的で美しく、実際福原遥さんはダンサーからの指導を受けたという(パンフレットより)。彼女の殺人カッターアクションは本作の見所の一つだ。そんな彼女がクライマックスに魅せるアクションはまさにガンカタならぬカッター・カタと言うべき仕上がりとなっている。
まさかのジョン・ウィックのような世界観
そんな頻繁に人を殺していたら流石にバレるのでは?と不安になる程日常的に人を殺める宮市だが、実は彼女の殺人行為はは趣味と実益を兼ねていた。彼女は殺人現場を清掃し、遺体を処理、そして再利用する死体処理の業者と業務提携というか共生関係にあったのだ。彼らはまるでジョン・ウィックシリーズの一作目に出てくる掃除屋のような集団で、テキパキと仕事をこなしさっと立ち去っていくその姿はプロの仕事人のようだ。その現場監督のような立ち位置を担う謎めいた女性、延命寺もキャラが立っていて印象的だ。ラブコメ×殺人鬼の異色作がまさかジョン・ウィックのような世界観の広さを感じさせるものになるとは……。
そしてまさかのHigh&LOW要素
殺人鬼、掃除人の次に出てくるのが違法薬物を売り捌く半グレ集団だ。こいつらの登場で物語の治安が別方向で悪くなっていく……。赤いライトに照らされたクラブを根城にするこの集団はそのルックスと所業からHigh&LOW THE WORSTに出てくる牙斗螺を彷彿とさせる。また、関ちゃんでお馴染みの一ノ瀬ワタルまで出てくる。まさかのHigh&LOW要素のアンブッシュに鑑賞中の俺の脳みそは混乱した。そんな彼らが黒須、宮市とどう関わっていくのかが後半の見所だ。
二人の関係の行く末は……
与太話ばかりで申し訳ないのでそろそろ真面目に語るとする。恋愛でも友情でも二人の人間の関係をしっかり描くにはその二人の外の世界、いわば他者となる存在が必要だと思っている。その他者たちとの関わりから二人の外の世界(社会ともいう)とのつながりを描写することで二人だけの特別が際立つのだ。
その点で言えばこの作品では、前述の延命寺や黒須と同じアパートに住む川崎の妹・春子がその他者のポジションにあたる。二人の事情を知る延命寺は度々黒須の前に現れては「人殺しと普通の人間が付き合えるはずがない」と忠告し、宮市の正体を知らない春子も「あなたたちの関係は結局平行線で、上手くいかないだろう」と述べる。
黒須と宮市の関係は決して祝福されるべきものではないし、その先に待っているのは明るい未来ではないだろう。延命寺と春子はその立ち位置こそ全く異なるものの、言っていることは大体同じだ。「おまえたちは幸せになれない」と。それは正しい。羊(普通の人間)とオオカミ(殺人鬼)が幸福な関係を結べるはずがないのだ。
では黒須と宮市の特別ってなんだろう。それは多分黒須が宮市のどこが好きなのかと訊かれて「まるっと好き」と答えることにあると思う。この「まるっと好き」発言は作中で二回ある(違っていたらごめんなさい)。最初は黒須の優柔不断さと煮えきらなさを表した台詞だった。しかし、二回目になると具合が変わってくる。この男は宮市が常人とは価値観が違う激ヤバ殺人鬼だと散々思い知らされた上で口にするのだ。こいつは宮市を拒絶しない。たとえヒキニートの自分を肉体的精神的に救ってくれた人、自分が四六時中私生活を覗かれていると知った上で許容してくれる度量を持つ人でも日常的に人を殺している狂人だったら距離を置きたくなるだろう。ましてや壁を隔てた隣に住んでいるのなら尚更に。(かつ壁に穴が空いている)場合によっては然るべき機関に通報するのが常識的な反応だ。だが、黒須は口では殺人をやめるよう求めるものの、強引なアクションを起こそうとしない。流されるままに彼女の殺人行為を受容する。まあ下手な真似をしたら自分が殺されるんだけど。
つまり黒須は恋に狂っているのだ。ヒキニート(後にフリーター)で浪人生で失うものは何もない破れかぶれの恋と断じてしまうことができるけれども彼が宮市に惹かれていることに変わりはないのだ。そんな彼を受け入れる宮市。倫理や道徳からどれだけ外れていても恋を貫く。それが二人の特別だ。
倫理や道徳を越えた先へ
だから、最後に宮市が、黒須が下した決断がとても美しく見えるのである。この映画で最も感じ入ったものはラストの結論なんだよ。自分たちのエゴのために世間一般が求める倫理や道徳を踏み越えていく様は『天気の子』を彷彿とさせるものがある。つまり俺好みだ。お前の口に合うかはわからない。ヒロインは殺人鬼の変化球を狙ったラブコメ映画がまさか俺の好みにストレートに直撃するとは思いもしなかった。宮市が本当に覗いてほしかったものを知った時、お前も俺と同じ場所に来れるのかもしれない。兎に角映画『羊とオオカミの恋と殺人』を見ろ。
追記:関係ないが最後のシーンで空の境界を思い出した。