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【コラボ小説】ただよふ 14(「澪標」より)

旅館から帰宅して、僕は身辺整理を始めた。上京する際に不要な物は処分していたので、僕個人の物はすぐに片付いた。

自室で家族のアルバムをデータ化する作業をしていると、息子の成長過程に涙が溢れてきた。僕は息子が独立した時に渡せるように、自分用の妻の写真を抜いたものとは別に、アルバム全てのデータが入った息子用を作成した。後にやっておいて良かったと思う事件が起こることを、この時の僕は知る由もなかった。

「クリスマスイブなんですが…あなたと過ごしたいです」
クリスマス数週間前、そう言ったら、あなたは満面の笑みで喜んでくれた。

「平日のアフターファイブなので、どこに出かけるか、プレゼントは何が良いか、考えておいてください」

あなたは数日後、僕の希望を尋ねてきた。
あなたに決めてほしいと言ったが、あなたは僕の希望を聞きたいと言い張った。

「あなたの部屋で手料理が食べたい、それが何よりのプレゼントです」
あなたは意外そうにしていたが、僕は心からの希望を受け入れてくれた。

プレゼントは何がいいか尋ねると、あなたは僕の好きな本が読みたいとねだった。共有できるものが増えると嬉しいからというあなたを見て、「それなら僕もあなたの好きなものを読みたい」ですと口元をほころばせた。

僕は、木枯らしで乱された髪を気にしながら、白ワインと書店の袋を下げて、あなたのアパートにやってきた。

書店の袋の中は、スベトラーナ・アレクシェービィチ『戦争は女の顔をしていない』だった。ノーベル文学賞を受賞した初めてのジャーナリストの作品である。袋から本を出して、貪るように目次を眺めるあなたに、後で感想を聞かせてくださいと微笑んだ。

あなたからは、ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』を贈られた。
「大学でアジア系アメリカ人文学を専攻していたので、エスニック文学全般を好んで読むんです。」

「知らなかった一面を知りました」
僕は、興味深いその本をぱらぱらめくり、寝る前に少しづつ読みますと大切に鞄にしまった。

あなたは、テーブルに、シーフードと野菜をたっぷり入れたクリームシチュー、有機野菜のカラフルサラダ、ホームベーカリーで焼いた丸いミルクパンを並べた。僕の買ってきた白ワインを味見すると、口当たりがよく、今日のメニューに合いそうだと嬉しそうにしていた。

「このシチュー、シーフードの味がとてもよく出ていました。ぺろりと平らげてしまいましたよ」
僕は、お皿をパンで丁寧に拭った。

「先に冷凍シーフードで出汁をとっておいて、煮込むとき水の代わりに、それを入れるんです」

「なるほど。これだけの味を出すには、シーフードが相当必要だと思いましたが、その方法だと経済的ですね。僕も……」

僕は「家で作ってみます」という言葉を飲み込んだが、既に遅かった。あなたは不意に襲ってきた嫉妬を表に出すまいと葛藤していた。僕は、気まずくて、パンでお皿を拭い続けた。

あなたはお皿を片付け、デザートの準備をした。

クリスマスに定番のケーキは、僕が好きなアップルパイだった。中に入れる焼き林檎は砂糖とシナモン、レーズン、ブランデーで味付けてあり、パイ生地にカスタードクリームを敷くように塗って焼き、コクを出していた。

僕は、「さくさくしていて美味しい、具も食べ応えがあって僕好み」と、珈琲を飲みながら3切れも食べていた。あなたは目を細めて、僕の食べるのを眺めていた。

「そうそう、年末に、新潟の祖父母の家に風を入れに行きます。日帰りになりますが、一緒に行きませんか?」

「いいんですか……、私なんかが行って?」
僕は、あなたが『家族』というものに対して劣等感を抱いていることを思い出した。

「私なんかという言い方はやめてください。あなたには、僕の周囲のことを知っていてほしいんです。本当は、あの荒海を見に行った日も、あなたをあの家に連れていきたかったんです」

「嬉しいです。でも、御家族に失礼じゃないですか……?」

「妻は毎日、どこかをそぞろ歩いています。息子も察しているらしく、悪い影響が出ないか心配です」
僕は苦々しく吐き捨てた。

今日も妻がどこかであの男と会っているのかと思うと、あなたの前なのに、どろどろと黒い感情が渦巻いてしまっていた。

「妻の火遊びについては、お義父さんとお義母さんに、手紙で知らせました。このまま続くようなら、別居を考えていると書いておきました。高齢の2人に心配をかけるのは申し訳なく思いますが」

のちに『あの頃のあなたは、あなたでなくなっていくようで、とても怖かった』と、あなたに告げられた。この時の僕は怒りに囚われ、あなたのそんな思いに気づくことが出来なかった。


僕はあなたと新潟の祖父母の家にやって来た。庭の雑草はほとんどなく、木々は葉を落としていた。僕はポストに溜まっていたチラシをかきだし、水道の元栓を開けた。

縁側に寝そべっていた大きな黒猫が、むっくりと起き上がり、バツが悪そうに去っていった。縁側には、猫の吐しゃ物と思われる染みがいくつかあり、猫たちの集会場になっていたことが伺えた。

あなたは僕と一緒に縁側から上がった。定期的に手入れしているので、家具や床の埃は目立たなかった。縁側から差す陽射しの匂いが優しかった。庭の木々の影が、ベージュの絨毯に精緻な模様をつくっていた。

僕は、「適当に座っていてください」と言ってから、コートを着たまま忙しなく動き回り、電気のブレーカーを上げ、止水栓を開け、家じゅうの窓を開け放った。冷たい風がなだれ込むと、滞留していた空気が動き出し、家全体が息を吹き返した。

僕は、5つある部屋を案内しながら、あなたに少年時代の思い出を語った。あなたは興味深げに部屋のあちこちを眺めていた。

「千葉県出身の祖父は、大学時代を過ごし、サラリーマン時代にも長く赴任していた新潟市が気に入り、定年後に夫婦で移り住んだんです。最後は2人とも施設に入って、病院で亡くなりました…」
当時のことを思い出し、僕は寂しくなった。

僕が家具の埃を払っているあいだ、あなたは雑巾を濡らして、縁側を掃除してくれた。さっきの黒猫は、庭の大きな石の上に寝そべり、時折目を開けてあなたの動きを窺っていた。

一息つくと、僕はガスの元栓を開け、お湯をわかして緑茶を入れた。2人ともコートを着て、日の当たる縁側に座ってお茶をすすった。黒猫は、いつの間にかどこかに行ってしまった。

「ここには、よく来ているようですね」

家全体に手入れが行き届いていて、電気も水道もガスも止めていないことから、あなたは推察したようだった。

「親戚は、売ってしまえと言うんですけど……。高く売れるわけでもなく、壊すのも金がかかるので、僕の隠れ家にしています。近所もほとんど空き家で、同じような状態です」

僕は、水の冷たさで赤くなったあなたの手に気づいた。
「悪かったね」
ゴム手袋ぐらい準備しておくべきだったと後悔した。

「気にしていません」
あなたはバッグからエルバヴェールのハンドクリームを取り出してぬった。
この家だったら、あなたへ【本来の香り】を返してあげられると思った。

「あなたと、ここで暮らすのも楽しそうですね」

僕は視線を彷徨わせながら、ぼそりとつぶやいた。あなたの頬が上気したので、僕は照れてしまい、話をそらせた。

「アレクシェ―ヴィチ、読みましたか?」

「はい、読みだしたら止まらなくて。読み終えると、憤り、悲しみ、敬意など様々な思いが胸に吹き荒れて、ベッドに入ってもなかなか眠れなくて困りました。インタビューをしたアレクシェ―ヴィチの苦悩、知的な反応、芯の強さや使命感、語った人びとの悲しみ、使命感、しなやかな強さが伝わってきて、双方に深い敬意を感じました。頁を繰るたびに、あなたが感じた憤りを後追いしているような気がし、これを選んでくれた意味がわかりました。彼女の他の作品も読んでみたいです」

僕はあなたの感想に深く頷いた。あなたとなら、同じ熱量で感想を言い合えるとわかり、嬉しくなった。

「僕もあなたのくれた2冊を夢中で読みました。移民で構成されるアメリカは、どこかの国と外交関係が悪化したときに、その国と血縁のある人々に憎悪が集まってしまう。そのことで、人生を破壊された人びとの悲しみが深く迫ってきました。今まで、よく知らなかったことが悔やまれます。あの作家さんは、美術を専攻したのですね。アメリカに写真花嫁として嫁いだ一人一人の語りが集まり、一枚の絵を描くような創作スタイルに感銘を受けました」

「そうなんです。私も、一人一人に背後から囁かれているような感覚で、読み進めていきました」

「あなたが選んだ本も、僕が選んだ本も、逃れられない運命に飲み込まれた人びとの声を集める点で共通していましたね」

「はい、私も同じことを考えていました。ところで、年末年始にも本を読みたいので、何か紹介してくれませんか?」

「もちろんです。僕にも何か紹介してください」

僕は、ウィンストン・チャーチルの『第二次世界大戦』を勧めた。あなたはすぐに地元の図書館で4巻全部を借りてきた。
「実家に往復する電車内で、夢中で頁を繰りながら、戦時に英国民を鼓舞した力強い政治家のイメージが強かったチャーチルが、これほど繊細で奥の深い文章を書いていたことに感銘を受けた。彼がノーベル文学賞を受賞していたことも初めて知った。本に熱中していたので、いつもは実家にいくと蠢き始める劣等感をすっかり忘れていた。」とLINEで報告してくれた。

あなたは、政治学科出身の僕が興味を持ちそうなミシェル・ウェルベック『服従』とオルハン・パムク『雪』を紹介した。僕は、何かを強く感じるたびに、あなたに報告した。年末年始は、無数のメッセージが2人の間を行き交った。

幸せだった。新しく迎える年も、この幸せが続くと信じて疑わなかった。


may_citrusさんの原作「澪標」、こちらも併せて読んでいただけると、物語をもっと楽しめます。


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さくらゆき
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