見出し画像

042.スプーン一杯の認知症

昔ね、婆ちゃんはこの辺りに住んでいて、生きてるときに来たんよ。行っていてよかった。夜やけ~よ~分からんけど、あっちの方に住んでたって言ってたと思う。

10年ぶりくらいにほたる祭り行った

夜7時頃に迎えに行くから、ご飯食べて待っててね。
を何度も電話をかけて聞いてくる。外食したいから、そういっているのかもしれないけれど、時間的にお腹すくだろうに。
父は食べてなかった。母は、食べたが忘れていた。
私は、コンビニでパンを買いかじりながら迎えに行った。

まだ太陽は沈んでいない。日が長くなったね~と普通に会話しながら、祭りに向かった。30分くらい車で走った。廃校になった小学校にたくさんの人が集まっていた。少しだけ興奮しているように見える母。父も久しぶりの夜の外出で嬉しいような疲れそうな・・・そんな雰囲気に見えた。母は、目の前の雰囲気に一喜一憂している。
食事を探したが、母が食べれそうなものは無かった。仕方ないのでシュークリームを買い、花壇の端に座って食べた。
人ごみの中をウロウロして、もう疲れたらしく、機嫌が悪い。蛍の場所まで10分くらい歩かなくてはいけないようだった。父は歩きたくないので、色々言っていたが、結局歩いて行った。
懐中電灯を母の為に照らすが、手を振って歩くので、灯りが右往左往している。余計歩きにくいが、父の配慮を無下にするわけにもいかず、そのまま人ごみの中を歩いた。

昔、婆ちゃんが子供の頃養子に出されて、この辺りに暮らしていた。と何度も話を繰り返した。しかし、私の知る限り、ここではなく、ここによく似たもう少し山手の町だったような・・・。
山の麓の町に来ると、この話をしているような気がする。母は、海の近くに住んでいたから、山手の町は皆同じに見えるのかもしれない。

父は、色々なことを知っている人で、この町の道も覚えていた。昔と変わった。という昔は30年以上昔の話で、話はいつも尻切れトンボのように「だったような・・・」で終わる。

父の話も母の話も、半分くらいしか聞けていない。フラッと道の端に寄るので、川に落ちたらどうしよう!で、蛍どころでもない。一人気忙しく山の麓まで歩いて、疲れたと言って引き返した。

昔、家の前の用水路に蛍が居たね~と昔話は盛り上がる。テンションが上がったり下がったり、父は、疲れてゆっくり歩き始め、母は急いで帰りたくて速足になり、後ろも振り向かない。
夜の外出は、ちょっと危険かもな・・・・。
また、どこかに見に行ってみよう。と言ったけれど、もう蛍も終わる頃。
来年かな。来年は車から見える場所に行こうね。

晩御飯は、ファミレスで食べたけど、父はうどん。母は、団子汁。私は団子汁がどうしても好きになれない。でも母が好きだから、よく食べさせられた。(こんな、小麦粉の団子、何が美味しいのか私には分からない)母にとっては、『母の味』らしく、何度も何度も婆ちゃんが作ってくれて、それが美味しくて・・・を話してくれる。
父は、耳が遠いので、なんとなく返事して聞いていない。私も何度も同じ返事を繰り返す。
いつも、塩辛いというので、コーヒーカップにお湯をもらって、これで薄めたらいいよと、トレイに置いたが、殆ど入れずに最後まで食べて。
「こんな辛いの初めて!」と怒っていた。これなんで入れんの?と聞くが返事をしない。理解できなかったのだろうな。
まあいい。

かなり疲れたと思う。私も疲れた。もう少し行動を抑えないといけないなと、反省した。

父の顔がやつれていた。意味不明なことを毎日言われて、辛いのだろう。母は「何?そんな心痛することがあるの!」と嫌味な言い方をしていた。帰ったら針のムシロになるのだろう。言う方も言われる方も辛いだろうに。

認知症は、忘れるというイメージがあるが、忘れられないという症状でもあることをよく理解しなくてはいけない。

夫婦が、月を見て、十五夜か?って 会話していた。どんな老後を考えていて、それにそれだけ近い毎日を送っているのだろうか。

母を見ると、自分が不安になってくる。どんな未来が待っているのだろうか。一杯くらいしかなかった認知症は、少しずつ増えていくのだろう。
父が居るから、どうにかやっていけてるが、父に何かあると姉がどんな手を使うのか、不安になる。
受入れるしかない現実は、誰も辛くなることが、今は多い。