038.スプーン一杯の認知症
母は乳がんになった
自分は死なないと信じている母。癌になるなんて!ただでさえ認知症で凹んでいたのに、ついでの乳がん。
※ちなみに冒頭の写真は私の祖母です。
そして、死にたいと言う。そう言っても・・・ちょう初期らしい。なので、まだ死にそうにない。何がショックなのかと云うと、多分自分は病気にならないと思っていたのに、病気になってしまった。
父は、何回か癌が見つかったことがあるが、その度に父を見下していた母。同じ立場になったことが気に食わないのかなぁ。
母方の祖母が、癌で亡くなっていたので、次は自分か?と過ったようですが、祖母が死去した年齢と娘たちの年齢が近いこともあって、私に向かって「婆ちゃんが死んだのは、あんたたちの年の頃」と言って私を可哀そうな目で見る。(いやいや私は、今んとこ大丈夫ですが・・・)
相変わらず自分都合な考え方。認知症だからでなく、性格のような気がする。
これがまた素晴らしく運の強い女(母)
乳に何かできて、何か変!で、近くの婦人科に行き、即大学病院に行くことになり、すぐに検査で1か月くらいで手術。落ち込む暇もなかったようで、あれよあれよと、姉が手配。そして、私には全く何も伝言なし。なんじゃ?
私が嫌いなのでしょうか?心配かけたくないのか?口出しして欲しくないのか?よくわからんが、母から聞いた。
なんか乳がんになったみたい。
検査に行く日なのに、もう入院と勘違い。もう死ぬと勘違い。母は、認知症になる前から、こんな感じだったなぁ~と思い出した。少し?オーバーになっただけのような気もする。カレンダーを見るたびに不安になるのか、通院する日を勝手に入院と手術する日と言って、心配を大きくしていた。昔からそんな感じで、1人が不幸だった。
母は、友達はたくさん居ると言っていたのに意外と世界が狭い。きっと本音で語れる友達が居ないのだろう。かといって、私も本音は誰にも語らない。でも、感情は、伝えるようにしている。ちょっと違うと思い込んでいる私。でも遺伝子は一緒だからな・・・。
母を支える嫉妬
手術は、無事に済んで、経過も良好で、今は違う悩みを抱えている。父に愛人が居ると言う。本当にあったかのように話始め、泣く。裏切られたと泣く。88歳のお爺さんに貢ぐ金もないのに、本当に愛人が居たら大したもんだと思う。父に聞くと、全く違うストーリーだった。まぁ、父も好きなことして暮らしてきたので申し訳なさもあるし、言っても理解してもらえないので、ニヤリと笑っているだけらしい。どうなんだろうか、やはりやきもちを焼かれるのは嬉しいのだろうか?私にはわからない感覚だけど
ネットで見ていたら、女として自信が無くなるとパートナーが浮気をするという妄想が湧いて嫉妬することがあると書いてあった。片方の乳を取ってしまったことは、心のどこかで、プライドが傷ついたり、女であることについても大きなショックを受けているのかもしれない。同性として、責めることもできない。私にとっては母は、女である。いや、母にとって私は女である。認知症になったらからではなく、昔から私にとって、いや母は私を、ライバルであるかのような話し方をするときがある。不思議な関係。
乳がんのショックが大きくて、記憶に残らないのか、心にあるが、認めたくないのかは、わからないけれど。癌よりも嫉妬が優先の様子。癌は、誰かの人生を狂わせるが、癌としてのプライドはきっとガタガタで再発する気力もないのではなか?と思うくらい、母は気にしていない。
癌で泣かれるよりは、よっぽど楽かもしれない。本人の気持ちは無視してのことだけど・・・・。
曇りの日は、たいてい落ち込んでいる。自分でコントロールできないことはきっと辛いだろう。曇りの日に会うたび、調子が悪いと言い、天気のせいじゃない?と言うと、思い出したように、そうかもしれない。と返事をする。私は、母を可哀そうと思っているのか、憐れんでいるのか、どちらなのだろうかと、ふと思い出す。会うたび、小さくなる母を私はどう思っているのだろうか。
今、母が気力を失っていないのは、父の居ない愛人への嫉妬心が支えているのかもしれない。恨みつらみは、いつになってもパワーの源なのかもしれない。
母強し。
手術も無事に済みまして、傷跡が痛むようです。痛みに波はあるようですが、気分の良い時は痛みも我慢出来ているようです。
機嫌の悪い時は、痛いようですけどね。でも、まぁ、痛いでしょうよ、切ったのだから。
今年も終わりに近づき