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「耳屋」①心の澱
新宿駅近くの喫茶店。
一番奥の赤い椅子に彼は座っていた。
「あなたが耳屋さん?」
私がその男に言うと、男は静かにうなずいた。
「想像より若くて、ちょっと驚いちゃった。もうちょっと洒落たお店にすれば良かったわね」
耳屋は小さな声で「いいえ」と言った。
耳屋は、ウィンナコーヒー、私はアイスコーヒーを注文した。
「何でも話していいのよね?」
「はい。聞いた事は誰にも話しません」
私は、頷いた。
私は黙ったまま、店の中のまばらな客を見るとはなしに眺めながら、コーヒーが来るのを待った。
テーブルの上にコーヒーを置いた店員の後ろ姿を見ながら、私は話を始めた。
もう20年も前の事なんだけど…。
新婚旅行でマドリッドに行ったのよ。公園を2人で歩いていたら、真昼間なのに4人組の強盗に遭ってしまってね…。
私も旦那も後ろから羽交い締めされて、斜めがけにしていたバッグの紐を刃物みたいな物で切られて盗られたの。強盗は走って逃げて行った。
嵐の様な出来事だった…。
その時は、気持ちが動転していたから気がつかなかったんだけど…。
旦那、自分の荷物を追いかけたの。
私がまだ強盗に羽交い締めにされている間に。
新婚旅行だったのにね…。
私はテーブルの上のアイスコーヒーを一口飲んだ。
口にすると惨めな気持ちになりそうだし、惨めなヤツと思われそうで、こんなに時間が経っても誰にも話せなくて、ずっと心の奥底に溜まった澱のようだった…。
今、口にしてみても…やっぱり惨めな気持ちになるものね。
私は正面に座って、静かに頷きながら聞いていた耳屋に視線を移した。そして続いて時計に視線を移した。
約1時間位??じゃあ、2000円でいいかしら?
私は、テーブルの上に2000円を置き、伝票を持ってレジに向かった。
おわり