母とのメール 祖父の思い出
さく6 It's happy Wednesday.
4/2 4時頃
亡くなった母と話す夢を見て起きました。
母の姿は無く、口調も無く、つまりなんとなく意思が伝わってくる感じでした。
でも内容が変なんです。
リアリストの母らしくなく、変なことを言いました。
世の中の成り行きが良くないので、救世主として生まれ変わることになった、みたいなこです。
活き活きとした感じが伝わって来た気がしました。
私は、ええ?! と驚き、頭が働いていないので意見が言えず、それはすごいみたいなことを言ったと思います。
起きてから、もう縁が切れてしまうお知らせなのかと一度悲しくなりましたが、
いや、元気にまた生まれ変わるならいいじゃないかと思いもしました。
母は産まれた時から病弱で、何年も保たないと言われたそうです。当時は戦争中で職業軍人だった祖父の財力で鯉の生き血を母に飲ませ、生き延びたと聞きました。戦争が終わると一気に貧乏になった為、母の記憶に豪奢な暮らしは無いそうです。
なぜ私が夢をこんなに素直に受け入れるかと言うと、理由がいくつかあります。
そもそもの話なのですが、貧乏で家族を養う為に軍人になった祖父とは、生前、母がすごく仲良しでした。軍人でしたが、戦争には反対で、部下にもできる限り親切にしていたそうです。その頃の辛かった話を母にしたり、漢字を忘れると夜中でも起きて辞書を調べたりしたという祖父の話を何度も母から聞きました。
祖父が死んで一年くらい経った頃に母が夢を見たそうなんです。
せっかくゆっくり眠っていたのに、なんだか隣がうるさい、なんとかしてくれ、という内容だったそうです。
なんだか気になってお墓参りに行くと、すぐ隣のお墓が工事中で確かにうるさい事になっていたのだそう。
母は工事中だから我慢してと言う(念じる)しかなかったそうですが、夢を見たのがもし祖母だったら、夢でしょと流してしまった可能性があったので、やっぱり大事な事は近しい人に伝えに来るのかなと思いました。
実はこの話を教訓に、天国(地獄かも知れないが、たぶん)に行った後で何かあったら、メールすると生前から母と私とで約束がありました。
メールというのもだいぶ適当な言い方ですが、昨日の出来事を記憶する為の夢とは全く違う、覚醒直前の割とはっきりした状態でのことです。
ちなみに、母が亡くなって一日後に、私にはメールが来ていました。
おかげでものすごく辛かった気持ちが、楽になったので詩にしてあります。
生と死の真理
母が身罷って丸一日経ち
私の名を呼ぶ声が眩く光って聞こえた
ずっと知りたかった生と死の真理を
母はもうわかったのだろうか
あんなにはっきりと楽しげに私を呼ぶのだから
自由な姿で飛び回っているのではないか
最愛の
祖父にも会えたのだろう
いつの日にか
私に死が訪れた時には
あれこれ話して案内してくれるだろう
また会えるのに違いない
自由な世界で
この時はありがたくて嬉しくて、涙が出ました。
「重い話」を読んでくれた方ならば、わかってくれると思います。
そんないろいろがあって、私は素直に信じてしまうのですが、話が大きいだけに少し懸念があります。
母はエイプリルフールを1日間違えたのではないか、と。。
同時に、間違えてない! だから、逆に嘘のつもりは無いから! という声も聞こえてくるわけで。
結局確かめようが無いのですが、まあなんか楽しそうだったんで、いいや、、と思いました。