昭和58年、丸井におもちゃ売り場を!所沢丸井に出店
この連載では、戦後すぐに私の父が開業し、後に私が二代目社長を務めたおもちゃ屋「さくらトイス」について書いています。
さくらトイスは、昭和50年代半ば(1980年ごろ)まで、スーパーのダイエーや西友、また池袋サンシャインをはじめとするショッピングセンターなどに何店舗もテナント出店をしてきました。
続いて出店の依頼があったのは、丸井です。
「丸井におもちゃ屋さん?」と意外に思う方もいるかもしれませんね。
今回は、その頃のお話です。
昭和58年、初の丸井出店は所沢店
昭和58年(1983年)に初めて丸井への出店がありました。
さくらトイスに直接の依頼ではなく、はじめはうちの取引問屋さんに話がありました。ところが、その問屋が小売業の経験が無かったので、問屋からうちへ話がきたのです。
丸井はテナント扱いではなく自社のおもちゃ売場を希望していたので、納品業者として丸井さんと契約をしました。
丸井さんは当時まだ馴染みの無かったクレジットの丸井として伸びていました。クレジット払いをメインとしたお店なので若者のお客様が多く、若い人たちに受ける商品を扱っていました。でも、将来のお客様を育てる、つまり子どもの頃から丸井に来る習慣をつけて大人になっても来てもらうという幹部の考えから、おもちゃ売り場を考えたそうです。試しに所沢店が選ばれ、後で大型店にのみおもちゃ売場が導入されました。
所沢の丸井は小さいビルが何個か集まっている店舗でした。当時、さくらトイスは所沢に2店舗ありましたが、丸井は他の店と客層が違うので出店しました。
丸井さんとしては手ごたえを感じてくれたようで、翌年59年に錦糸町丸井にも出店要請がきました。
昭和59年、錦糸町丸井に出店
錦糸町は売り上げの良い店でした。お客様が親しみやすく下町の雰囲気を持っていらしておもちゃ屋にはぴったりの町でした。
錦糸町には雪にまつわる2つのイベントの思い出があります。
1つは旧タカラから発売された初代の「なんちゃってビールサーバー」です。缶ビールを機械にセットして生ビールのような雰囲気にし、グラスにつぐおもちゃです。
新発売のキャンペーンを4月1日に行うことになりました。丸井の店頭を使わせてもらい、タカラが手配してくれたキャンペーンガールを呼んで開催しました。
当日は、4月1日なのに小雪の降る寒い日になりました。キャンペーンガールは、ミニスカートのワンピースに素足です!私は慌てて丸井の売り場でストッキングを買って、キャンペーンガールにはいてもらいました。
小雪は1日中続いたので、店頭で売れたのは2個。
1個はアベックが「こんな面白いものが売っている!」とノリで買っていってくれました。
もう1個は当時の錦糸町丸井の店長が「ご苦労様」とポケットマネーで買って下さいました。ありがたかったです。
もう一つのイベントは、1997年頃流行したハイパーヨーヨーの大会です。バンダイの協力で、各店舗で開催していました。
丸井のイベント課が協力してくれましたが、錦糸町店は店内に場所が無くできず、丸井の上の階の「すみだ産業会館」の一室を借りたイベントでした。
確か2月だったと思います。朝からの雪で中止にしようかと思いましたが、中止告知もできず開催しました。集まった子どもは10人足らずで、親同伴の子どももいました。家を聞いたら近所の子が多く、一安心。
少人数なので、和気あいあいとみんなで技を競い合い、バンダイから来たヨーヨー名人も一人一人に親切に教えてくれて、子どもたちも喜んでいました。
雪がやまないのでイベントは早めに切り上げました。
丸井全体も早めに閉め、私も家の最寄り駅から家まで帰るのに膝まで積もっている雪の中を歩いて帰りました。2月とはいえ東京であんな大雪は珍しい事でした。
錦糸町店はその後も長く営業していました。
昭和60年、小田急・海老名駅前のビナ1に出店
昭和60年(1985年)に、小田急が小田急線海老名駅前にビナ1(ワン)と言うテナントビルを作り、そこでの出店要請がきました。海老名駅は小田急線と相鉄線、JR線と入っている駅です。
当時、駅前広場は何にもなく、駅を背にして左側にテナントビルが建つとの事でした。
詳しく説明を聞くと今後ビナ2(ツー)ビナ3(スリー)と駅前の広場にテナントビルを増やして、将来は映画館も併設するとの事でした。父は迷いましたが今後の小田急さんとのお付き合いもあるしということで、出店をしました。
11月オープンですぐにクリスマスを迎えました。この店は近くのロードサイドにおもちゃの安売り店があったので、当時流行りのジグソーパズルに力を入れてしっかりコーナーを取り、品揃えしたと記憶しています。
ジグソーパズルが流行したのは人気のテレビドラマの影響でした。登場人物がジグソーパズルを組み立てているシーンが毎週あり、売れていたのを覚えています。
余談ですが、名画「モナリザ」のジグソーパズルを覚えている方も多いかもしれませんね。これは1973年にやのまんがドイツから輸入して発売。翌1974年には、本家の「モナリザ」が東京国立博物館で公開されて大評判になり、ジグソーパズルの「モナリザ」も大ヒットしました。
そんな海老名店ですが、建物自体の規模が小さくてお客様を呼び込むキーテナントがなく、クリスマスも苦戦しました。父は1年もしないで撤退を決めて退店しました。
海老名の小田急ビナウォークが完成したのは、5年後の平成2年(1990年)です。うちのような小さな会社では5年も辛抱して付き合うことはできません。そして他の2(ツー)・3(スリー)のテナントビルは大きく、キーテナントも入っているので、同じ敷地内でもこのビナ1(ワン)に集客するのは難しかったでしょう。撤退は正解だったと思います。
でも、こんなに早く決断するとはビックリしました。
出店ばかりでなく、退店する勇気も必要だと、この時つくづく勉強しました。