昭和30年、おもちゃ屋の娘に生まれて(自己紹介)
皆さんは子どもの頃、どんなところでおもちゃを買ってもらったか、覚えていますか?
現在はネット通販や家電量販店で買う方が大多数だと思いますが、その昔は、町のおもちゃ屋で買った方が多かったのではないでしょうか。
昭和40年ごろからはおもちゃ屋さんが続々と増えはじめ、最盛期には全国で約1万件になりました。そのため、どこの町の商店街でもおもちゃ屋さんが1軒はあったと思います。その後大型ショッピングセンターやスーパーなどのおもちゃ売り場も加わりましたが、そんなおもちゃ屋で、ずらっと並ぶ楽しそうなおもちゃをワクワクしながら眺めていた子どもたちも多かったことでしょう。
「さくらトイス」は、そんなおもちゃ屋のひとつでした。
さくらトイスは、昭和27(1952)年から平成19(2007)年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋です。
戦後、焼け野原となった東京・原宿から始まったさくらトイスの歩みは、戦後の社会の歴史、おもちゃを囲む子どもと大人の歴史そのものです。
私、あきこは、創業者である宮川浩一の長女で、1996年から2007年まで2代目社長を務めました。
この連載では、そんなさくらトイスの歴史を、その時々の懐かしいおもちゃの思い出をまじえて振り返っていきます。
スロットカーを走らせる広いサーキット場があった横田基地前のお店、
サンシャイン60の「こどもの町」、
1万個のたまごっちが三日間で完売した、溝の口丸井のお店など、
皆さんの記憶に残るおもちゃ、おもちゃ屋のお話があればうれしく思います。
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