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300年の歴史を誇るおもちゃメーカー、増田屋コーポレーションには「元祖」がたくさん(前編)
おもちゃ・おもちゃ屋、メーカーの歩みを調べている私にとって、どうしてもお話を伺いたかったのが、「パネルワールド」や「モーラー」で知られるおもちゃメーカー、「増田屋コーポレーション」さんです。
創立は、江戸時代の1724年、今年で創業300年という長い歴史をお持ちです。
増田屋さんの歴史は、日本のおもちゃ屋・問屋・メーカーの歴史そのもの。
会社の歴史や、その時代ごとのおもちゃについて、玩具事業部 マーケティング部 開発室チーフの木島誠一さんにお話をうかがうことができました。そのお話を私なりにまとめて、二回に分けてご紹介します。
前編の今回は、歴史あるメーカーならではの、「元祖〇〇」のおもちゃについてです。
増田屋には「元祖」がたくさん① 世界初のラジコン玩具
300年の歴史を誇る増田屋さんには、「元祖〇〇」のおもちゃがたくさんあります。
まずは、そうした「元祖」をいくつかご紹介しましょう。
まず1つ目は、ラジコンです。
1955年、「ラジコンバス」が発売されました。私が生まれた年です。
世界初の、無線操縦玩具です。
初めての無線電波を使ったおもちゃということで、当時電波法を管轄していたお役所から視察が来てかけ合い、おもちゃに使う電波の範囲を定めるなど、電波法改正のきっかけになったという逸話もあるそうです。
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増田屋には「元祖」がたくさん② 日本初のディズニーおもちゃ
ディズニーキャラクターのおもちゃは今でこそたくさんありますが、日本で初めてディズニーおもちゃを出したのも、増田屋さんでした。
木島さんから興味深いお話を伺いました
昭和30年代、アメリカのディズニー社のエージェントが、日本で商売をするにあたってどうしたらいいかを、増田屋さんに相談に来たのだそうです。
増田屋は当時、アメリカでも知られているおもちゃメーカーだったので、声がかかったのでしょう。検討の結果、ディズニー社は日本では1業種1社の契約とし、おもちゃは増田屋だけの独占契約となりました。
当時の資料も残されていました。
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白雪姫のリビングセットは、昨年開催の展覧会「いとしのレトロおもちゃ展」でも展示されていました。今見てもおしゃれでかわいいですね。
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増田屋には「元祖」がたくさん③ キッザニアより早い、職業体験おもちゃ
こちらも、「いとしのレトロ玩具展」で展示されて話題を呼んだ、「社会科玩具シリーズ」は、お菓子屋さん、スーパーマーケット、薬屋さん、八百屋さんなどのお店屋さんごっこシリーズです。私も何種類もこのシリーズを持っていて、よく遊びました。お気に入りはお花屋さんでした。
木島さんが後に、開発を手がけた方から聞いたところによると、
それまで、ままごとおもちゃはたくさんありました。それは、子どもたちがお母さんの真似をして、家庭の中のことを学ぶものです。
では、家の外に目を向けて、子どもたちにお店のこと、社会のことを学ぶおもちゃができないかと生まれたのが、このシリーズだったそうです。
地域によっては、お店や商店街などもまだ少ない時代、おもちゃを通して子どもにさまざまな職業を知ってもらい、将来の夢につながったらという思いもあったそうです。
現在、子どもたちがさまざまな職業を疑似体験できる施設「キッザニア」が人気を集めていますが、その何十年も前から、同じ思いのおもちゃがあったのですね。
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増田屋には「元祖」がたくさん④ 元祖・怪獣おもちゃ
1966年、テレビでウルトラシリーズの第1作「ウルトラQ」が放映されると同時に、怪獣のパペットや指人形を発売。これが怪獣おもちゃの第1号となりました。
放映と同時なので、撮影中から開発・製造をしていたということになりますが、小売店からは「こんなグロテスクなもの、子どもが買うわけない」と言われたのだとか。
でも、放映が始まると子どもたちの心をつかみ、大人気となりました。
当時は、テレビキャラクターのおもちゃは「マスコミ玩具」と呼ばれて、「教育上よくない」など、低く見られていたものでした。
大人までもキャラクターグッズを持つ今の時代とは考えがだいぶ違います。
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いかがでしたか?
後編では、増田屋の歩みについて、さらに詳しくご紹介いたします。
江戸時代から、おもちゃ屋や問屋、メーカーがどのように移り変わっていったか、また、蔵前がおもちゃの町になったきっかけなど、興味深いお話がたくさんですので、ぜひ続けてお読みくださいね。
取材協力:
玩具事業部 マーケティング部 開発室チーフ 木島誠一さん
昭和27(1952)年から55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の思い出話を毎月更新しています。こちらもぜひご覧くださいね。
編集協力:小窓舎