平成8年、ポケモン・たまごっちが登場、中高生・大人が欲しくなる玩具の時代に
この連載では、昭和27(1952)年から平成19(2007)年まで55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の歩みや懐かしいおもちゃのお話を書いています。
今回は平成8(1996)年から平成12(2000)年までのおもちゃを紹介します。
私は平成8年9月にさくらトイスの代表取締役社長になりましたので、この時期のおもちゃは思い出深いですね。
平成8年 ポケモン・たまごっちが登場
平成8(1996年)、「マジック・ザ・ギャザリング」の日本語版が発売され、カードブームが始まります。それまでは英語版のみの販売でしたので、主に大学生のサークル間で流行っていたのですが、ここから大学生以下の人たちにも広がり始めました。
そしてこの年は今でもヒットを飛ばしている二大キャラクターの登場です。
一つはポケモンです。2月にゲームボーイソフト「ポケットモンスター赤・緑」が発売されました。
もう一つは「たまごっち」で、11月に発売されました。
実を言うとバンダイの新商品発表会でたまごっちが紹介された時、私はいまいちピンときませんでした。そこで、差しさわりのない普通の数量で発注したところ、予想に反して飛ぶように売れたので、慌てて追加発注を掛けたことを覚えています。
また、前年発売されたタカラの「ビーダマン」が勢いを増してきました。
ピープルから「たんぽぽのぽぽちゃん」が発売されたのもこの年です。
ぽぽちゃんは日本の赤ちゃんの顔の統計を取って作られた人形です。惜しくも昨年、生産終了となってしまいましたが、それまで30年近く、多くの子どもたちがぽぽちゃんのお世話をしてきたことでしょう。
その他、平成4(1992)年にオープンしたトイザらスが僅か4年間で全国に50店舗を作り、メーカーも問屋も小売店もトイザらスの凄さを思い知らされます。
平成9年 携帯液晶ゲーム「デジタルモンスター」が人気に
平成9(1997年)、バンダイから「ハイパーヨーヨー」が輸入発売され、子供たちの間でヨーヨーブームが始まりました。
日本では中村名人が人気となり、さくらトイスでもバンダイがアメリカから招いたガルシア君達のパフォーマンスや、ヨーヨー検定などのイベントを各店で開催しました。
前年、ゲームボーイソフトとして出たポケットモンスターの「ポケモンカード」も発売。玩具では「ポケットピカチュウ」もヒットし、携帯液晶ゲーム「デジタルモンスター」も大人気となりました。
海外商品では「くすぐりエルモ」が輸入されヒットしました。
平成10年 子どもたちが行列を作った「遊戯王」
平成10(1998)年、コナミから「遊戯王」が発売されました。現在も続く代表的なカードゲームです。
発売日には子どもたちが開店前から店頭に並び、店側としてはたまごっちやポケモン同様、販売方法に頭を悩ませました。
この年に「ゲームボーイカラー」が発売され、それまでモノクロだったゲームボーイに色が付きました。
1973年に流行した「超合金マジンガーZ」や「仮面ライダー」等のレトロキャラクターがリニューアルされ、再び人気が出ました。子どもの頃に欲しかった人たちが大人になり、購入したのかもしれませんね。
また、超小型ポラロイドカメラ「シャオ」が女子高校生の間で人気になりました。当時は私も持ち歩き、その場で写真を撮って差し上げると、相手の方が喜んで下さいました。
平成11年 みんなが口ずさんだ「だんご3兄弟」
平成11(1999)年、アメリカで大ブームになった「ファービー」がトミーから発売され、日本でも大流行となりました。
さくらトイスでも国分寺店の改装オープンがあり、ファービーをオープンの目玉商品に当てようとしたところ、日本語版の数が間に合いませんでした。結局、英語版と日本語版の両方を並べた記憶があります。
「だんご3兄弟」もこの年でした。パッと流行ってパッと引いた代表的なキャラクターでした。これは当然です。3月にNHKでの放送が終わる直前に火が付いたのですが、版権が取れて商品化するのに最短でも4~5か月はかかります。商品が出来上がったのは夏休み近く、ブームは終わっていました。翌年正月のおもちゃ福袋にいっぱい入っていたのを覚えています。
バンダイの「たれぱんだ」もヒットしました。私は以前ファンシーショップをやっていたのですが、ファンシー雑貨で「たれぱんだ」が流行ったのはその4年くらい前で、もうとっくにブームは終わっていました。これは無理だなと思っていたら、流石バンダイの力です。テレビ番組にも取り上げられ話題となりました。癒し系キャラクターの始まりです。
もう一つバンダイから「プリモプエル」が発売されました。子どもや孫のように可愛がりお世話をする人形で、お世話が足りないと少し性格がひねくれてしまう人形でした。年配のご婦人や独身女性に人気がありました。
さくらトイスは扱いがなかったのですが、ソニーからは犬型ロボット「AIBO(アイボ)」が25万円で発売されました。
一般家庭にコンピューターが普及してインターネットも広がり始め、玩具のネット販売「イーショッピングトイス」が発足しました。
現在では当たり前の、玩具のネット販売は、ここから始まりました。
平成12年 ペットロボット「プーチ」大ヒット
平成12(2000)年、セガトイズからペットロボット「プーチ」が発売されました。値段が手ごろで可愛く、世界的な大ヒットでした。
「プーチ」で思い出すのがクリスマスの次の日。各店で大量に販売したプーチのクレームが殺到しました。「プーチがすぐ壊れて動かなくなった」とのことです。よく調べてみると、壊れたのではなく電池切れでした。子どもがプーチを面白がって遊んだものの、電池が数時間しか持たなかったようです。セガトイズも電池の消耗のことを考えて、プーチは歩行をさせずに座ったままで反応するようにしましたが、子どもの遊び方のほうが上回ったようです。
タカラからはハンディカラオケ「e-kara」が発売。家庭で手軽にカラオケをすることができたので、子どもから大人まで人気が出ました。e-karaソフトの曲目も幅広く網羅していました。
この年からアニメが始まった「とっとこハム太郎」のゲームソフトやおもちゃが発売されました。エポック社からハム太郎のフィギュアが売り出され、仲間たちが次から次へと発売になり、良く売れました。
私が「何匹出るのかしら」と言ったら社員が「ハム太郎だから86匹まで出すんじゃないですか!」と笑って答えてくれました。
前年から発売されたチョコレートの中に動物のフィギュア等が入ったフルタ製菓の「チョコエッグ」が人気となり、うちの店でも扱いました。
子どもたちが購入しても、中のフィギュアだけを欲しがって周りのチョコを店内で捨てて行ってしまうので、「もったいないな~。でも、今の子どもたちはお菓子も十分与えられているので、仕方がないのかな」と思いました。
この年、1992年にオープンしたトイザらスが僅か8年で株式公開となり100店舗を達成しました。
トイザらス、赤ちゃん本舗、ジャスコ等が「ベビー+子供+玩具」の総合売場を展開し、本格的なおもちゃの価格破壊が始まります。また、一部のメーカーや問屋の企業合併・提携が見られるようになりました。
この5年間はたまごっちを始め、ICチップを使ったプリモプエル等のロボット系の玩具が出始めました。
こうしたおもちゃは子どもだけでなく、今までおもちゃから遠ざかっていた年配の方やおもちゃを卒業した中高生、社会人など、幅広い世代へ親しまれ、従来のおもちゃとは異なるお客様層が買うようになりました。特に女性は、ロボットをお世話することでおもちゃとのコミュニケーションが生まれ、ある意味の癒しにつながっていったと思います。
昭和27(1952)年から55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の思い出話を毎月更新しています。こちらもぜひご覧くださいね。
編集協力:小窓舎
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