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< ぶどうパンの人 >

もう十年以上も前のこと。撮影の仕事なんて全くなくて、スーパーで深夜のレジ打ちバイトをして生活していた。


その頃、そのスーパーで売っていた「ぶどうパン」にどハマりしていたので、朝になって仕事が終わるといつも朝ごはん用にぶどうパンを3個買って帰った。
早朝勤務の人たちはほとんどがおかんくらいの年齢のおばちゃんだったけど、その中にひとり僕よりも若い女性がいた。


小さいこどもは、お菓子を買ってもらうとレジ袋に入れず、すぐに自分で持ちたがる。ある日、その人がこどもにお菓子を手渡ししてあげる風景をたまたま見かけ、その感じがとても優しい感じだったので、素敵な人やなぁと少し気になるようになった。朝、何かを買って帰るときはだいたいその人のレジに並んだ。


しばらくして、深夜帯の責任者と喧嘩をして品出し用にはめていた軍手を投げつけてそのスーパーのアルバイトを辞めてしまった。

結局その女性とは「おつかれさまです」としか会話ができず、名前も何をしているのかも知らないまま会えなくなった。


それから半年ほど経った日の夜、道の向こうからその人が歩いて来るのが見えて驚いた。声をかけようとしたけれど、そういえば名前もわからない。僕が「わわわ」となっているとその人も僕に気づき「あ、ぶどうパンの人!」と言った。陰で「ぶどうパン」と呼ばれていたのを知った僕は再び「わわわ」となって、やはりその時も「おつかれさまです」だけで終わってしまった。


ぶどうパンを見たらそのときのことを思い出すけど、その人の顔ももう思い出せない。人気がなかったのだろうか、僕が好きだったぶどうパンは今はもうどの店でも見かけない。


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*このぶどうパンはその時どハマりしていたぶどうパンではありません。僕が好きだったぶどうパンは生地にクリームが練り込まれていて、ぶどう粒もたくさん入っていて、持った時に想像よりも重たくて嬉しくなるものでした。

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