社会のパターナリズムの絶対性からフェミニストは幼稚になる
確定ではないのだが、自称フェミニストが女性特権を擁護すべくAIに出力させた記事がある。彼女の記事を私は前々回のnote記事で批判したのだが、前々回の段階ではAI記事とは思わず、その不正確な部分を批判した。
その後、実に頻繁に彼女はnote記事を出す。後で確認したのだが、彼女がいくつかの記事の中で主張する内容のほぼ全てが過激な内容であり、正統的なフェミニズムの観点から見ても疑問符の付く内容であった。例えば、私が読んだ順番としては3番目に見た記事である、"托卵"をフェミニズムから擁護する記事はいくらなんでも無理筋の主張である。
もちろん、このレベルの無茶苦茶な主張をするフェミニストも居ないではない。しかし、そういった連中の言説の論調はもっと攻撃的で下品なものだ。つまり、当該自称フェミニストの論調が温和に過ぎて違和感を覚えたのだ。そこから語彙や文体に注意を向けると、それらはChatGPTがよく用いるものであると気付いたのである。
この辺りの事情についての考察は以下の前回記事の中で行った。
因みに、それなりに全文を私が読んだのは以下の3記事だ。他の記事はざっとチェックしただけである。
まぁ、「他人のカネで外食したい」「自分達だけは安くメシが食いたい」「他人のカネで自分の子どもを育てたい」という身勝手な欲求を抱くこと自体は理解できなくもない。事の善悪・正義不正義を抜きにして、やりたい放題の行動を自分がする空想など陳腐とさえ言える空想だ。内心においてその手の恥ずべき空想に耽溺しなかった人間の方が少ないだろう。
ただ、空想中の恥ずべき自己の行動を正当化するにあたって、AIに正当化させてその結果を公表し外部からの承認を得ようと考えるとは驚くべき幼稚さだ。流石は信奉する人間を幼稚化することにかけては有数の思想であるフェミニズムを信奉するフェミニストといったところか。
さて、「盗人にも三分の理」や「理屈と膏薬はどこへでもつく」との俚諺がある。どんな行為であっても自己正当化を図るための理屈というものは見つけ出せるものだ。
私はこれまでこれらの俚諺が当てはまる行為をする人間にネガティブな評価しか下していなかった。ところが、今回、AIに自己正当化の理屈を出力させる人間をみて、人間の邪悪さには更に下が存在することを実感した。
狂人論法であっても狂人は自分の頭で「正しさ」を考え出す誠実さがある。導き出される考えが、どんなに身勝手で間違った考えであっても、自らの正しさを考えようとしている。そこには何ほどかの倫理的な姿勢がある。
あるいは、自己正当化を放棄して「ああ、そうだよ。俺は悪人だよ」と嘯き悪行三昧する人間でさえ、ソイツが悪であることは間違いないのだが、そこには自らの責任で悪を引き受ける潔さという、何ほどかの倫理的な姿勢がある。
しかし、本稿で批判の対象とするフェミニストは、そんな狂人や悪人に劣る倫理観しか持ち合わせていない。
当該フェミニストは弁護の必要性を薄々感じているからこそ自己の欲求を正当化する理屈をAIに出力させる。すなわち、彼女には「それが悪であること」の自覚が存在している。だが、それが悪である自覚があるにも拘らず、倫理的な行動を取ろうとしないのだ。
悪い欲求だと認識したのであれば放棄すべく努力すべきだ。放棄できないのであれば、悪い欲求を"悪"との認識のままで放棄できない自らの弱さを受け止めるべきである。そして、それが悪であることを自分の責任で引き受けるべきなのだ。更にいえば、それらが出来ないとしても言い訳ぐらいは自分で考えるものだ。それは自己を免責する言い訳の理屈の正しさに対して自分が責任を負うためである。
悪い欲求を放棄する倫理観も持てず、悪い欲求を放棄できない自らの弱さを認める倫理観も持てず、悪い欲求の悪さを自分の責任で引き受ける倫理観も持てない。更には、自分を免責する理屈の正しさに対して責任を引き受ける倫理観を持てない。当該フェミニストの幼児性はフェミニズムによって強化されている。
「女性はヨシヨシしてあげないとね」という社会に存在するパターナリズムの絶対性に依拠してフェミニズムが正しいとされている構造によって、当該フェミニストに限らずフェミニストは全般的に幼稚化している。この構造は多様性原理の絶対性に依拠して差別主義の言説が許容されている構造と同様である。
「女性がフェミニズムの題目でムチャクチャ言っても正しいと認めれもらえる」のは、赤ちゃんがムチャクチャを言っていても「そうでちゅね~。偉いでちゅね」とあやす保護者の態度と同様の態度を、社会が女性に対して取るからである。そして、赤ちゃんと同様の対応を社会から取られるからこそ彼女らは幼稚化するのである。
社会に存在するパターナリズムの絶対性こそが、自分の中に存在する悪に対する責任を背負おうとしない、"他責性"というフェミニストの幼稚な特徴をつくり出している。
そして、本稿で批判したフェミニストはAIというツールを手に入れて、自分の悪を免責することの正しさの責任さえ、自分で背負おうとせずAIという他者に任せているのだ。
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