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フロイトとエリクソンの発達心理学

 ここのところ、ChatGPTにエニアグラムのフレームワークで私の性格分析をやらせていたものを記事にしている。そのChatGPTが下した分析結果を眺めて、なんとなくエニアグラムについてのイメージが掴めた。エニアグラムの教科書的書籍を読み込むといった標準的学習をしていない人間がそんな大口を叩く話ではないのかもしれないが、まぁ、イメージを語るのは構わないだろう。

 さて、エニアグラムのフレームワークなのだが、よくよく見ていくとフロイトやエリクソンの発達理論から「年齢要素」を抜いて「循環構造」を入れ込んだものであるように感じられる。とはいえ、いきなりフロイトやエリクソンの発達理論とエニアグラムの類似性を指摘するのではなく、まず本稿ではフロイトとエリクソンの発達理論について必要な範囲の整理をしておくことにしておこう。


※(追記)当初、本稿は「フロイトとエリクソンの発達心理学とエニアグラム」というシリーズ記事にしていましたが、エニアグラムに全く触れない記事が多い為、「エニアグラム」の語を表題から削りました。


■フロイトの発達理論とエリクソンの発達理論の共通点

 フロイトとエリクソンの発達理論の相違点は、フロイトの発達理論が乳幼児期から(基本的に)思春期までの発達段階を対象範囲をするのに対してエリクソンの発達理論は人生全体での発達(≒成長・成熟)段階を対象範囲とする所がまず挙げられる。また、フロイト理論が性的ニュアンスのあるリビドーや幼児性欲といった概念を用いるのに対して、エリクソン理論は理論全体を通した性的概念は特に登場せずに性的にニュートラルである点も相違点として挙げられる。

 とはいえ、エリクソンの発達理論はフロイトの発達理論を下敷きにした発達理論であるから共通する枠組みも多い。この二つの発達理論に共通する大筋を一言で言えば、「人間はある特定の年齢の各時期に、それぞれ適切にクリアしていくべき事がある」というものだ。もう少し詳しく二つの発達理論の共通点を見ていこう。

【フロイトとエリクソンの発達理論の共通点】
・年齢で区分されるライフステージがある。
・ライフステージ毎にクリアすべきことがある
・ライフステージ毎に生じ得る特有のエラーがある
・エラーには過大と過小によって起きるエラーがある
・エラーが起きた場合に生じる特有の性格特徴がある

 この二つの発達理論の共通点を説明するのに必要な、似ているようで異なる、それぞれの発達理論の基本的な考え方を対比的に見ていこう。

【フロイトの発達理論の基本的な考え方】
・一定の年齢区分によってリビドーの向かう先は異なる
・リビドーは過不足なく充足されなければならない
・リビドーが適切に充足されなければ、その時期特有のエラーが生じる。
・リビドー充足が足りない場合と過剰の場合でエラーは異なる
・エラーに対応した歪みがある性格特徴が形成される

【エリクソンの発達理論の基本的な考え方】
・一定の年齢区分によって克服すべき発達課題は異なる
・発達課題は適切に克服されなければならない
・各時期の発達課題を不適切にやり過ごした場合には特有のエラーが生じる
・発達課題を克服できなかった場合と発達課題が与えられなかった場合でエラーは異なる
・エラーに対応した歪みがある性格特徴が形成される

 また各々の理論の特徴的な考え方も見ておこう。


■フロイトの発達理論の考え方

 まず、フロイトの発達理論における年齢区分は、「0-1.5歳期:口唇期」「1.5-3歳期:肛門期」「3-6歳期:エディップス期(ないしは男根期)」「6-12歳期:潜伏期」「12歳以降期:性器期」の5つである。

 フロイト理論の特徴としては「固着」や「退行」という現象を想定することにある。まぁ、エリクソン理論との違いとしては、私が思うに解釈違いでしかない。それはともかく、過不足なくリビドーが充足されず、リビドー充足が過少である場合や過剰である場合は「固着」や「退行」と呼ばれるエラーが生じる。

 すなわち、固着という現象は「与えられなかった快楽=その時期に充足されなかったリビドー」によって、本来移り変わるはずのリビドーの向かう先がそのライフステージを過ぎた年齢になってもそこに留まってしまう現象である。更に言えば、この「固着」という現象は「恐怖ないしは強迫観念による執着」によって生じると考えてもよい。十分に充足されなかったその時期のリビドー充足をなんとしても確保しようとする傾向が性格特徴となってしまう。

 また、「退行」という現象はリビドーが過剰に充足されると起こる現象である。食欲で譬えるならば、常時食物が与えられて食欲の自覚が生じないような状況で起きる現象と言っていいだろう。退行が生じると、退行が生じた段階が加味された、一つ前の発達段階に悪い形で戻った性格特徴が形成される。もっとも、0-1.5歳期(口唇期)は"一つ前の発達段階"が無い為に、単に悪い形の口唇期の特徴となる。

 ただし、6-12歳期(潜伏期)はリビドーが潜伏している期間とフロイト理論では考えるので、その時期に対応するリビドーが固着する対象が無いとされ、固着は生じないとされることが一般的解釈である。また同様に退行に関しても、リビドーは潜伏しているので生じないとされている。とはいえ、私個人的な印象論でいうならば、「やたらと周囲に迎合的になる性格特徴」はこの時期に固着した性格特徴と解釈しても良いように感じられ、また、「やたらと社会的な上下に拘る性格特徴」はこの時期で退行した性格特徴のようにも思える。

 また、12歳以降期(性器期)の固着と退行に関してフロイトの発達理論ではあまり明確でない。性器期は潜伏期と異なり、リビドーが顕在化しているのだから固着や退行も考え得ると思う。だが、他の期間とは異なり期間が非常に長い為に通期のリビドー充足の過少や過剰を扱い兼ねているのかもしれない。ただ、フロイト理論の理屈を敷衍するならば、この時期にリビドー充足が足りず固着した場合は「やたらと性愛(エロ)に拘る性格特徴」になり、リビドー充足が過剰で退行した場合は「やたらと社会的評価としての"モテ"の価値に拘る性格特徴」となるように、私には思える。

 まぁ、そんな私の印象論はともかくとして、フロイト発達理論で性格的特徴を形成する固着や退行という現象を考えるのは「口唇期(0-1.5歳期)・肛門期(1.5-3歳期)・エディップス期ないしは男根期(3-6歳期)」の3つの時期である。


■エリクソンの発達理論の考え方

 まず、エリクソンの発達理論における年齢区分は、「0-1.5歳期:乳児期」「1.5-3歳期:幼児期」「3-6歳期:遊戯期」「6-12歳期:学童期」「12-20歳期:青年期」「20-40歳期:成人期」「40-65歳期:壮年期」「65歳以降期:老年期」の8つである。フロイト理論の「性器期」に関して更に細分化したと考えてもよい。すなわち、0-12歳までの年齢区分はフロイト理論もエリクソン理論も共通である。また、フロイトの発達理論がいわば成長期で人間の基本的な発達が終了すると考えているのに対して、エリクソンの発達理論(ライフサイクル論)は生涯発達の視点からライフステージを考えている。そんな違いがフロイトとエリクソンの理論における時期区分の違いとなっている。

 注意点として、フロイトとエリクソンの発達理論では能力・知識・技術といったものの獲得を各時期で目指すわけではないと考える。フロイトの発達理論では「リビドー充足」を目指し、エリクソンのライフサイクル論では「社会様式(モード)の内面化あるいは態度や基本的姿勢の確立」が目指される。ここでの主題のエリクソンのライフサイクル論では、自己や他者あるいは社会や世界への向き合い方が決まると言ってよい。ついつい"発達"というと「何かができるようになる」と考えてしまいがちであるが、両理論ともにそのような観点で発達を捉えている訳ではない事に注意が必要である。

 上述のエリクソンのライフサイクル論における発達の捉え方を押さえたうえで、重要概念である「発達課題」について説明しよう。

 この「発達課題」に関してだが、これは弁証法的構造を持っている。所謂「テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」という構造だ。すこしメンドクサイのだが、ライフサイクル論の「発達課題」概念には広義と狭義とがあり、「テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」という構造全体を指して「発達課題」と呼ぶ場合と、この構造の中の「テーゼ」に当たる部分だけを「発達課題」と呼ぶ場合がある。

 この構造におけるテーゼに対応する狭義の「発達課題」に対して、アンチテーゼに対応するライフサイクル論の概念が「心理社会的危機」である。また、「テーゼ・アンチテーゼ」の対立をライフサイクル論では「葛藤」と呼ぶ(因みに、この「葛藤」を「発達課題」と呼んでいる場合もある)。更に、弁証法の"止揚"に対応するライフサイクル論の概念が「克服」である。そして、弁証法の"ジンテーゼ"に対応するライフサイクル論の概念が「」である。

 この各ライフステージにおける「葛藤」をうまく克服できず解消できないまま、次のライフステージに移行してしまった場合、その葛藤は無意識領域に移されて不適応を起こす。そして、あまり望ましくない歪みといえる性格特徴になる。

 まとめると、弁証法で「テーゼ・アンチテーゼ」から「ジンテーゼ」が止揚されるように、葛藤をうまく克服した場合は徳が獲得できる。一方、弁証法において「テーゼ・アンチテーゼ」の止揚が出来なかった場合に「テーゼ側となる」「アンチテーゼ側となる」といったことが生じるように、葛藤をうまく克服できなかった場合は「発達課題となったものが過剰になる」「心理社会的危機となったものが過剰になる」といった性格特徴になる。

 見比べると、二つの発達理論はほぼ同じである印象も受ければ、全く異なるものであるような印象も受けることだろう。そこで、次回記事ではもう少し二つの発達理論の各ライフステージを詳しく見ていくことにしよう。




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