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中絶も子殺しも母親が持つ自己決定権の行使だって?!

 日本社会においては中絶問題は世論を二分するような問題ではない。宗教的信念を含む何らかの思想によってプロライフの価値観を持つ人もいるが、大多数の日本人はプロチョイスの価値観を持っているだろう。プロライフとプロチョイスの言葉はアメリカ政治に関心がある人にとっては馴染みのある言葉かもしれないが、中絶問題は現代日本においては特に話題になる問題でもないので、説明の必要があるかもしれない。

 プロライフとは胎児の生命を尊重する立場であり、プロチョイスは母体の選択権を尊重する立場である。

 プロライフの立場は、受精の瞬間から「他者」となるので、妊娠・出産が母体に重大な危険が及ぶ状況や胎児に致命的な異常が存在する状況以外で中絶することは、不当な殺人行為であると見做す立場である。いわば"カルネアデスの板"の枠組みで「母-胎児」の命の選択が迫られた場合に限って中絶が許されるとする考え方が、プロライフの考え方である。

 このプロライフの「受精卵の段階で他者である」との考え方から、理念的な一方の極としての「臍の緒が切断されるまでは胎児は母親の身体上の生殖システムの一部に過ぎない」との考え方の間に、現実の「胎児としての他者」というプロチョイスの考え方が存在している。

 つまり、プロチョイスの考え方には、胎児が"他者"となる段階はどこなのかという線引きをする問題が存在する。両端をみれば「それは他者ではない」「それは他者である」と言い得るのだがその境界はハッキリしない。しかし、線引きをしなければ現実に対処できないという難しい問題が横たわっている。ファジー構造を持つものに暫定的な基準を設けて「ここまでは母体の生殖システムの一部の段階、ここからは胎児という状態の他者であり、母親とは別個の人間」としているのだ。

 このような形で厄介な問題を暫定的に解決した上で、プロチョイスの立場もまた基本的にはJ.S.ミルの他者危害排除の原則を採用している。すなわち、他者に危害を加えない範囲において、生殖システムを含む自己の身体に対する自己決定権の不可侵を主張するのがプロチョイスの立場である。

 ここで確認しておきたいプロチョイスの考え方は、「受精卵や胚は未だ他者ではなく母親の身体上の生殖システムの一部」であるから、母親にとってまだ他者となっていないとの前提に立って、自分の身体に対する自由権の行使として、中絶が許容されるべきとしているのだ。したがって、他者となった段階の胎児を中絶することは、他者危害排除の原則に反することであるのでプロチョイスの立場でも認められない。このプロチョイスの考え方を日常的な言い回しで表現するならば「まだ人間じゃないなら中絶で取り除いてよい。でも人間になってしまったならダメである」というものになる。くどいかもしれないが強調しておくと、プロチョイスの考え方は胎内にいる子供に対するマーダーライセンスを母親に与えるものではないのだ。

 以上のことを押さえた上で、次のXのポストを確認して欲しい。

 ここで明言しておくが、近代人権思想に基づく標準的なプロチョイスの立場では、その基準がどれだけ極端で過激なものになろうとも「臍の緒が母体ともはや繋がっていない子供は、母親とは別個の個人」と考える。したがって、人身の決定権が別の個人に属することはあり得ない。完全に別個の身体を持つ子供と母親との関係性において、母親が持つ身体に対する自己決定権の範囲に「別の個人である子供の身体」が含まれることはないのだ。

 そもそも論としてプロチョイスの立脚点を確認して欲しい。プロチョイスは「自己の身体に対する自己決定権の不可侵」を人権思想から引っ張り出して母体の権利を主張する立場だ。他者の"自己の身体に対する自己決定権"をご都合主義的に無視し得るとするのであれば、どうやったら母体となった人間の自己の身体に対する自己決定権の不可侵の理屈が人権思想から整合的に導き出されるのか。

 「私の身体についての自己決定権は不可侵だが、あなたの身体についての自己決定権は侵害してもよいのだ」とする考え方は、「全ての人間は人として平等である」とする近代人権思想の考え方ではない。身分や地位によって異なる権利体系を持つ封建思想の考え方である。

 上のポストの考え方は、この前の朝ドラの『虎に翼』で話題になった「尊属殺人の規定」の考え方の裏返しの考え方である。すなわち、尊属殺人の考え方は「子が親を殺したときは、単なる殺人よりも刑罰を重くする」というものであったが、それとは逆方向の「親が子供を殺したときは、単なる殺人よりも軽くすべき」というものだからだ。

 『虎に翼』において尊属殺人の規定を口汚く罵っていたフェミニストが、「母親が子供を殺したときは、単なる殺人よりも軽くすべき」との妄言を吐く。フェミニストという存在は、日頃はお題目のように人権思想を振りかざしておきながら、実は人権思想など糞どうでもよくて、近代人権思想だろうが旧時代的封建思想だろうが、単に自分に都合が良ければそれでいいとする、軽蔑すべきゴミクズなのだ。










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