ひろゆきがシャープレイ値を用いて夫婦の問題にアドバイスをしている
「西村ゆか&ひろゆき夫妻に相談する」というシリーズ記事の一つがyahoo!ニュースに転載されていた。取り上げる記事に限らず散見される「なんで、ひろゆきの意見なんかをメディアは取り上げるんだろう?」との疑問を呈す人の気持ちも分からなくはない。ただ、ひろゆき氏の意見は、ゴールとしての意見というよりも議論のスタートの意見といってよい。つまり、「議論の叩き台となる主張」をする人としてメディアは彼を重宝しているように見える。
主張に対する反論を提示するのに抵抗を感じるような権威はひろゆき氏にはない。彼が挑発的主張をすることはあっても、とりわけその主張に思想的偏りがあるわけではない。更に、彼の主張の中におかしな点があった場合にも、党派性によって外野から変に擁護されることもなく、しっかりと批判されるような立場である。そして、彼には自分の主張が批判されてもケロッとしているメンタルの強さもある。
そういった事情もあって、ひろゆき氏の意見はメディアでしばしば取り上げられるのだろう。そんな彼のメディア上の位置づけはともかく、以下の記事において彼がちょっと興味深い考え方を示していたので、今回のnote記事で見ていきたい。
さて、この記事の構成は以下のような形になっている。
相談者が西村ゆか&ひろゆき夫妻に相談をする
西村ゆか&ひろゆき夫妻の各々が回答する
夫妻がお互いの回答について議論する
メディアにおけるひろゆき氏の位置づけを、一つの記事の中に集約したような構成といってよい記事である。ひろゆき氏の持ち味を活かそうとした記事と言えるだろう。
とはいえ、残念ながら当該記事の「夫妻がお互いの回答について議論する」のパートは大して面白くない。それというのも、当該記事の西村夫妻への相談に関して、「夫のこういう部分がオカシイと思うんです」と訴えている相談者の妻の考え方のほうが基本的に道理にあっていないとの見解で西村夫妻が一致しているからである。そして、西村夫妻の相談者への評価は妥当といってよい。それゆえ、お互いの回答への議論はただの補足説明とありきたりな解説になっているので、記事の議論パートは陳腐で凡庸な内容となっている。
ただ、先にも述べた通り、ひろゆき氏が回答のなかで提案した内容の発想に、私は興味をひかれた。というのも、相談者夫妻の解決策において、ゲーム理論の概念であるシャープレイ値となる費用負担を彼は提案していたからである。議論パートでの回答についての彼自身の解説を見る限り、彼がシャープレイ値を知らずに提案している印象を受ける。なので「おぉ、理論を知らない人から理論通りの話が出てくるのを見ると、なんか感動するな」という気持ちになったのだ。とはいえ、ひろゆき氏は色々と耳学問する人なので、ひょっとしたら私のこの気持ちは見当違いかもしれない。
さて、本稿では取り上げた記事におけるひろゆき氏の提案を理屈を見ていきたい。とはいえ、ひろゆき氏の提案をいきなり見ていくことはできないので、順を追って論じていこう。
まずは、相談者の相談内容を見ていく。とりわけ相談者夫婦の夫婦関係の様式を確認する。そして、その夫婦の関係性において相談者の相談内容の是非を評価する。
次に、取り上げた記事のどの部分がゲーム理論のフレームワークと一致する考え方をしているのか該当箇所を示す。また、ゲーム理論のシャープレイ値とは何かを説明する。
準備作業として以上を確認した上で、ひろゆき氏の提案とシャープレイ値のフレームワークによる費用負担の関係を論じていく。
相談者の相談内容
■相談者夫婦の様式は日本社会では少数派の様式である
まず、当該記事での相談内容を確認しよう。
相談内容に「共有財産であっても自分自身がすべてのお金を出している」とあるところから、相談者の家庭では「夫婦各々の個人収入と個人財産」と「家庭用共有財産」が厳然と区別されていることが分かる。つまり、相談者が妻である夫婦は、家庭という組織を共有する独立採算制の二人の個人からなる夫婦という、欧米社会において一般的であるが日本社会においては少数派の様式を採用している。
この相談者夫婦の様式は日本社会の通常一般にイメージされる夫婦の様式とは異なっている。この夫婦の関係をイメージする場合、「同性の友人と二人で一緒に旅行することになったときの関係」をイメージした方が、その関係性を正確に理解できる。
友人と二人で旅行する関係とは以下のような関係だ。
基本的に二人で旅行を楽しむが、興味関心に応じて分かれて行動することもある。宿泊でツインの部屋を借りたときの料金や二人で利用するレンタカーの料金などは等分に負担し合う。一方で、個々人が買う記念品の代金や個々人で楽しむアクティビティの料金は各々のサイフから支払う。このときの支払いに関して二人の収入の差異などの事情は原則的に考慮しない。また、旅先で病気やケガをした場合は健康な側が助けるという形で相互に協力し合う。
以上のような関係性と同様の関係性なのが、相談者夫婦の関係である。基本的には独立した二人の個人が「一つの家庭」を対等に共有して運営している関係である。共有の家庭活動以外の活動は、経済活動を含めて個人に帰属する。つまり、共有の合意が為されているもの以外は、基本的に各自の自由という様式である。ただし、相談内容には含まれていないが、特段の状況があるときは相互に助け合うことを暗黙的に了承し合っているだろう。
■相談者夫妻の様式を踏まえた相談者の考え方への評価
相談者の夫婦の様式を踏まえると、記事で取り上げられた相談は「何をご都合主義的に考えているのやら」と呆れる相談内容である。実際、回答者の西村夫妻は双方とも「アンタの夫は問題ないぞ」という趣旨の回答をしている。そのことを確認してみよう。
「お互いの経済活動は家庭運営とは独立している」「別個の経済主体である対等な二人の人間が、お互いの合意によって共有財産を持つ」という、相談者の夫婦が採用した様式からすれば、回答者の西村夫妻が指摘する通りの話である。
家庭運営についてのコスト(金銭だけでなく労力を含む)を相手が対等に負担しているのであれば、相手の収入や支出に口を挟む権利はない。また、共有する家庭関連費用については、合意の範囲内でしか相手に負担を要求できない。相手からの合意を得ずに自分勝手に行いたいのであれば、自分の負担で全て行う必要がある。
相談者の夫婦の様式は上記の関係性となる様式である。したがって、相談者の相談内容のほぼ全てについて「アナタの考え方のほうが問題だ」という結論になる。
ただ、そうは言っても議論の余地のある部分も存在する。それは共有財産の費用負担についてである。このことについて次節で見ていこう。
共有財産の費用負担問題
■相談者夫婦の共有財産問題を考察するときの注意事項
これからの議論にあたっての注意事項をまず述べておく。
前節で見た通り、相談者の夫婦は日本社会の夫婦としてみると少数派の様式の夫婦である。したがって、相談者夫婦の共有財産の費用負担問題も、その様式に基づく独特の形となることを念頭において欲しい。
さて、相談者の家庭に置かれる共有財産となる備品について、相手の合意を得られなかった備品を購入した際に全額を自分が費用負担している問題は、ほぼ全面的に見当違いの考えを持っている相談者の相談内容の中で、唯一議論の余地のある問題である。
もちろん、「相談者夫婦が現在の夫婦の様式を採用していること自体に検討の余地があるんじゃないの?」というメタ的な議論も可能である。しかし、相談者夫婦が現在の夫婦の様式を変更しないという前提に立つならば、唯一の論点となるのは、共有財産の費用負担の問題となる。
このとき、議論対象とする共有財産に関して、「その種類の備品を購入すること自体については二人の合意がある」という共有財産に限定したい。
すなわち、「備品の効果そのものは夫婦双方が享受するが、夫婦の一方はその効果に価値を置いていない」「備品は夫婦双方が利用することが可能だが、実際には夫婦のどちらか一方しか利用しない」といった、一応は共有財産となっている種類のものは除外する。具体的にいえば、機能からすれば不必要なほど豪華なアロマディフューザーであるとか、購入当初しか使用されないようなぶら下がり健康器であるとか、買った人間しか共有財産と考えていない備品は除いて議論したい。
つまり、議論対象となる共有財産となる備品は、電子レンジや炊飯器やTVといった家庭において必要性が明確な家電製品、テーブルやイスやタンスといった家庭において必要性が明確な家具といったものを想定している。
ただし、この節の議論で用いるフレームワーク自体は、議論の対象から除外したものも「0の価値を持っている」として扱えば同様に扱える。しかし、混乱のもとになるので説明の便宜上から除外する。
■必要性には合意があるがグレードに合意が無い場合の費用負担
相手との合意を超えて自分の意志を押し通したとき、相談者の夫婦の共有財産の費用負担は、以下の通り、意志を押し通した側が全額負担する形となっている。
この状況に対して、西村ゆか氏は以下のような提案をしている。
つまり、夫婦で合意できなかったのであれば家庭の共有財産とせずに、各自が自分用を購入し個人財産として運用すればよいのではないかという訳である。とはいえ、これはいくらなんでも無駄といっていいだろう。
具体的に「2万円の電子レンジか3万円の電子レンジかという、グレードでの意見の不一致」というひろゆき氏が出した例で考えれば、「電子レンジを家庭の共有財産とせず、夫婦が各自で2万円のレンジと3万円のレンジを個人財産として購入する」という解決策が、公平であっても如何に非効率かすぐに理解できるだろう。
この場合の効率的かつ公平な費用負担となる解決策を、ひろゆき氏は具体的に提案している。記事から該当箇所を引用しよう。
このひろゆき氏が提案する費用負担は、ゲーム理論のシャープレイ値の費用負担と一致している。
このひろゆき氏が例示した、家庭の共有財産となる電子レンジを購入する事態は、ゲーム理論でいうところの「協力ゲーム」が成立する事態である。なぜなら、合意が成立すればキチンと合意が遂行される関係に相談者夫婦はあるからだ。また、協力の合意によって利得向上が生じる構造にあるので、この構造においてシャープレイ値となる費用負担が公平な費用負担となる。
ただ、シャープレイ値がどうのこうのと言われてもシャープレイ値とはいったい何じゃい、となると思う。そこで、シャープレイ値での費用負担の話を、記事とはいったん離れて別の具体例で説明しよう。
■閑話:シャープレイ値での費用負担
日常的な状況でシャープレイ値での費用負担の公平性が分かり易い状況としては、乗り合わせでタクシーを利用した場合に公平な費用負担を行う状況を挙げることができるだろう。
ただし、実際にタクシーを乗り合わせたときに公平に費用負担をしているかどうかは別問題で、大抵の場合は「まぁ、そんなもんか」と思いながら少々の不公平さを飲み込んで、費用負担するのが一般的だろう。とはいえ、シャープレイ値での費用負担を考えるときは、現実世界での「なぁなぁ」で済まされている不公平な費用負担を考慮する必要は特にないので、「対等な形でタクシーの乗り合わせの代金を公平に負担する」という場合を考えよう。
さて、職場の飲み会で帰路が同じ方向の同僚とタクシーで乗り合わせをして二人で帰る場合で考えよう。
二人が別個にタクシーを利用したときは、飲み屋から同僚の家までが3000円で、飲み屋から自分の家までが5000円だったとしよう。一方、飲み屋から同僚の家経由で自分の家までタクシーを使用したときは、6000円だったとする。
「乗り合わせの支払い総額は6000円なので2等分して3000円づつ!」と主張すると、同僚との人間関係にやがてヒビが入るだろう。何といっても、自分だけが2000円分トクをして同僚は一切トクしていないからだ。まぁ、等分して負担し合っているのだからいいんだ!という考え方もあるのだが、それはちょっと人間関係に甘えているとも言える。
「同乗するところの料金は折半して、そこからはあなたが払ってね」と同僚に言われてもモニョるだろう。この方式だと相手は1500円安くなるが、自分は500円しか安くならない。この提案だと「君の分の得が多すぎない?」と同僚に対して感じるだろう。
では、乗り合わせのタクシー料金の公平な費用負担はどのように考えればよいだろうか。
二人が個別にタクシーを利用した場合のトータル料金は3000円と5000円とを足し合わせた8000円となる。一方、乗り合わせた場合のタクシー料金は6000円である。つまり、その差額2000円がタクシーの乗り合わせで発生する利得である。このタクシーの乗り合わせという協力行動によって生まれた利得を二人で公平に分け合うのである。この場合であれば2000円を等分して1000円づつ分け合うと考えればよい。
つまり、同僚が協力せずに個別にタクシーを利用すれば3000円かかる。乗り合わせという協力行動によって1000円分の利得を貰えると考えて、同僚は乗り合わせのタクシー料金の内2000円分の費用負担をする。一方、自分は協力せずに個別にタクシーを利用すれば5000円かかる。乗り合わせという協力行動によって1000円分の利得を貰えると考えて、自分は乗り合わせのタクシー料金の内4000円分の費用負担をする。同僚が2000円、自分が4000円の負担をすることで、乗り合わせのタクシー料金6000円が公平に支払えるという訳である。
このように、合意による協力によって生まれる利益を公平に分配した値をシャープレイ値という。
日常的な具体例から説明したので、逆に分かり難かったという人もいるかもしれない。そこで、すこし抽象度を上げてシャープレイ値を説明しよう。
まず、状況として「協力するor協力しない」という選択肢が考えられる。ただし、協力すると合意したときはその合意は反故にできないとする。この状況において、各自が協力せずに別個に行動した場合の利得の合計と、協力した場合のトータルの利得とを比較する。この二つの利得の差が、協力した場合の利益となる。そして、この協力の利益を公平に分配した値を、シャープレイ値というのである。
■ひろゆき氏の提案がシャープレイ値となっていることの確認
さて、相談者夫婦が電子レンジの購入について「協力するor協力しない」という状況にある。このとき、協力せずに各自が個人財産として2万円の電子レンジと3万円の電子レンジを購入するという行動は「公平ではあるが効率的ではない」といってよい。
つまり、先にみた西村ゆか氏の提案は効率性を犠牲にして公平性を追求する提案である。
基本的に電子レンジは1台あれば十分であって2台も必要ない。そこで協力して1台の電子レンジを家庭の共有財産の備品として購入することになるのだが、その際の公平な費用負担をシャープレイ値のフレームワークで考えよう。
まず、協力しない場合の費用と協力した場合の費用を見てみよう。
協力しない:個人財産として購入したときの合計費用:2万円+3万円=5万円
協力する :家庭の共有財産として購入したときの費用:3万円
したがって、協力した場合の利益は(買わずに済んだ電子レンジの代金となる)2万円分となる。この協力した場合の利益を夫婦二人で均等に分ける。つまり、各自は電子レンジを購入した場合に支出する金額よりも1万円分だけ低い費用を負担する。
つまり、以下のような費用負担となる。
夫の費用負担:2万円-1万円=1万円
妻の費用負担:3万円-1万円=2万円
という訳である。
この結果をひろゆき氏の提案と見比べてみよう。
見ればすぐに分かると思うが金額は一致する。更に言えば、「家庭の共有財産となる備品を購入する」という場合、ひろゆき氏の提案の構造は常にシャープレイ値と一致する。このことを確かめるために、ひろゆき氏の提案を一般的な形に直し、また、シャープレイ値のフレームワークによる費用負担の説明も対応する形にしよう。
【ひろゆき氏の提案】
「合意の取れているローグレード品の価格分を均等に負担し合って、ハイグレート品とローグレード品の差額はハイグレート品を主張している人間が支払う」
【シャープレイ値のフレームワークによる費用負担】
家庭の共有財産として備品を購入した場合、各自が備品を購入した場合に購入したローグレード品が必要なくなる。したがって、共有財産として購入するという協力行動は、ローグレード品の価格分の利益を生み出す。この協力行動の利益を二人で等分に分け合うことになる。つまり、各自が個別に備品を購入した場合に支払う金額から協力行動の利益から分配された利益を差し引いた分の金額が、家庭の共通財産とする備品に対する各自の費用負担分となる。
文章では分かり難いので数式で表してみよう。
ハイグレート品の価格:H
ローグレード品の価格:L
としたとき、ひろゆき氏の提案による共有財産に対する夫婦の費用負担は以下で表される。
ローグレード品で十分と考える側の費用負担:L/2
ハイグレート品で譲らない側の費用負担 :(L/2)+(H-L)=H-(L/2)
では、シャープレイ値のフレームワークによる費用負担の考え方を同様に示そう。
協力しないとき(各自が個別に購入)の費用:H+L
協力するとき(共有財産として購入)の費用:H
協力行動の利益 :( H+L)-H=L
各自に分配される協力行動の利益 :L/2
ローグレード品で十分と考える側の費用負担:L-(L/2)=L/2
ハイグレート品で譲らない側の費用負担 :H-(L/2)
以上のように式変形をして形を整えると、共有財産についてのひろゆき氏の提案とシャープレイ値のフレームワークによる費用負担は等しくなる。
おわりに
ひろゆき氏がゲーム理論の理解を背景に家庭の共有財産についての費用負担の提案をしたようには感じられない。しかし、出てきた結論がゲーム理論のフレームワークによる結論と同じであることが実に興味深い。
ひろゆき氏は色々と適当な理屈で意見すると批判されることもあるが、本稿で扱った理屈だけでなく、的を射た考え方をして意見を言っていることも少なくない。
まぁ、もちろん、適当に言っているケースも少なくはないのだが。