デートDV被害者を透明化する認識枠組み
「デート費用を全く払わない」という行為がデートDVに当たると内閣府男女共同参画局のサイトで示されていることが衝撃をもってSNS上で拡散されたことがニュースになった。2018年3月時点で当該政府見解は公表されていたのだが、それが改めてSNS上で広く認識されてメディアが取り上げて記事にしている。
このテーマに関して「デート費用を全く払わない」というデートDVをテーマにして、以下のnote記事を書き上げた。
しかし、上記のnote記事を書く契機となったメディア記事の問題点については、論点が異なるために問題の存在を示唆するに留めていた。本稿では、前回のnote記事で詳細に触れなかった、以下のメディア記事の問題点について批判していく。
ただし、問題点は複数あるため本稿ではすべて扱うことはしない。本稿の批判対象は、「加害者=女性、被害者=男性」となることの多い経済的DVを、フェミニズム思想によって無理矢理に捻じ曲げて「加害者=男性、被害者=女性」となる通常イメージされるDVに誤認させようとする態度である。
■経済的DVである「デート費用を全く払わない」について
まずは、前回のnote記事でも引用した政府広報オンラインで公表されたの政府見解、また政府見解を示した地方公共団体のサイトに掲載された図を確認しよう。
経済的圧迫・経済的な暴力の一つとして挙げられた「デート費用など、いつもパートナーにお金を払わせる」「デート費用を全く払わない」という、SNS上で騒動となったDV行為が、どの時点で行われるDV行為であるのかという時間軸をハッキリと意識しながら考察しよう。
さて、非常に当たり前のことだと私は思うのだが、政府広報オンラインや高萩市のサイト上の図の記述内容、ごく普通の日本語の表現の仕方から判断して、「デート費用を全く払わない」といったDV行為は、交際相手に対してデートの金銭的負担を明示的あるいは暗示的に強制する行為を指している。したがって、加害者はデート費用を払っていない側であり、被害者はデート費用を払っている側である。
また、「デート費用を全く払わない」といったDV行為は、デート時点におけるDV行為である。すなわち、デートが行われる前の時点でのDV行為でもなければ、デートした後の時間が経過した時点でのDV行為でもない。まさにデートしている時点において行われるDV行為が「デート費用を全く払わない」というDV行為である。
もっとも、デート費用に関して「事前に仮払い・後日清算をする」という、出張旅費精算のような清算方式を採用した場合のデート、あるいはカップルが相互に金銭を拠出するデート基金といった制度を採用している少数派のカップルについては、「デート費用を全く払わない」というDV行為は、時間軸で見たときにデート時点と相違する可能性がある。
とはいえ、そのような変わったデート費用の清算方式を取った場合であっても、デートに関する金銭的負担をしなかった方がデートDVの加害者側であることには変わりがない。
つまり、政府広報オンラインや「DV(ドメスティック・バイオレンス)とは」と説明した図において、提示されている「デート費用を全く払わない」というDV行為は、以下の性質を持っていると言えるだろう。
(基本的に)デートと同じ時間軸上のDV行為である
デートに関する金銭負担しなかった側が加害者となるDV行為である
したがって、「男性は女性に奢るべきである」との旧弊のジェンダー規範が残存している日本社会においては、多くの場合に女性が加害者となり男性が被害者となるDV行為であると言えるだろう。
■「男性=加害者,女性=被害者」の認識枠組みによる曲解
先進国社会の傾向としてフェミニズム思想は現代社会のジェンダー正義の思想であるとのバイアスが存在している。このバイアスによって奢り奢られ問題に関するデートDV問題を取り上げた当該記事においても、無理矢理に道理をまげて「男性=加害者,女性=被害者」の枠組みで問題を認識しようとする。その様子が表れた箇所は以下の箇所である。
デートDVの相談に乗っているある関係者の、引用において太字で示した箇所の例示を含めた解説は、政府見解をフェミニズム思考によって曲解したミサンドリックな解説である。そして、そんな無理矢理に道理を捻じ曲げたミサンドリー言説をボツにすることなく紹介する辺り、記者である野口氏もまた、バイアス塗れのフェミニズムに毒された認識を持っていることが窺える。
政府広報オンライン等で確認できる、経済的な暴力の一つとして挙げられた「デート費用を全く払わない」という、今回SNS上で騒ぎになっているDV行為を、上で引用したデートDVの相談に乗っているある関係者の解説のように曲解して捉える、フェミニズム思考に基づく「男性=加害者,女性=被害者」の認識枠組みの異様さが理解できるだろうか。
ひょっとしたらフェミニズム思考に被れてしまっていると理解できないかもしれないので、 デートDVの相談に乗っているある関係者が挙げた具体例の構造をキチンと示すことにしよう。
aの事態とbの事態は明らかに別個の事態である。そして、旧弊の「男性は女性に奢るべき」というジェンダー規範からすると、aの事態において加害者となるのは女性であり、被害者となるのは男性である。一方、bの事態において加害者となるのは男性であり、被害者となるのは女性である。
フェミニズム思考の枠組みからは事態aの「加害者=女性,被害者=男性」となるデートDVをDVと認め難いのだろう。それゆえ、フェミニズム思考と整合的な「加害者=男性,被害者=女性」となる事態bを、経済的DVの一つである「デート費用を全く払わない」というデートDVであるとしたいのだろう。
そんなフェミニズム思考に則って、デート費用との関連性がある「加害者=男性,被害者=女性」となるDVの類型を、SNS上で話題になった「デート費用を全く払わない」というデートDVであるとして、 デートDVの相談に乗っているある関係者は、政府が広報している内容を曲解して解説したのだろう。
しかし前節で見たように、「デート費用を全く払わない」というデートDVは以下の性質を持っているものだ。
したがって、デートDVの相談に乗っているある関係者が例示した「『別れるなら、高級寿司店に行ったお金を返せ』などと迫るケース」は、「デート費用を全く払わない」という類型のデートDVではない。もちろん、「別れるなら、高級寿司店に行ったお金を返せ」などと迫る等はDV行為になるのだが、それは「デート費用を全く払わない」というデートDVとは別の類型のDVなのだ。
■フェミニストの思考の異様さ
前節の説明では、デートDVの相談に乗っているある関係者の解説の異様さが分からない人間が居るかもしれない。そこで、別の事例も用いてこの構造を説明しよう。
説明にあたって、まず事態aと事態bの抽象化して構造を明らかにする。そして、事態aと事態bを示した抽象的構造に関して、一旦は意味を抜いた形にして事態Aおよび事態Bと称することにしよう。そして、捉え直した抽象的構造から、再び事態aと事態bを把握し直す。さらに同じ構造を持つ別の事例にも当てはめて見比べてみることで、デートDVの相談に乗っている関係者の解説の異様さを見ていくことにしよう。
さて、事態Aにおける加害者をXとして被害者をYとする。このとき、事態Bにおける加害者はYであり、被害者はXとなる。事態AとBの抽象的構造を示すと以下になる。
A.過去の時点での加害者X被害者Yとする不当行為V
B.過去の不当行為Vを理由とする加害者Y被害者Xの不当要求W
このとき、デートDVの相談に乗っている関係者の認識によるならば、
政府が具体的行為Vとして例示したデートDV行為は、行為Wがそれにあたる。そして、デートDV行為Vの加害者はYである
では、この抽象的構造に対して、くだんのデートDV相談の関係者に登場する、寿司デート全奢りの事態aと寿司デート全奢りを理由にした不当要求の事態bに関して、X・Y・V・Wを示すと以下のようになる。
X:寿司デート費用を負担しなかった人間(おそらく女性が想定されている)
Y:寿司デート費用を負担した人間(おそらく男性が想定されている)
V:寿司デート費用の全負担
W:寿司デート費用の全負担を理由とした交際継続または金銭の要求
この関係をおさえた上で、くだんのデートDV相談の関係者の例示に基づく解説を説明すると以下になる。
・「デート費用を全く払わない」というデートDV行為Vは、行為W「寿司デート費用の全負担を理由とした交際継続または金銭の要求」がそれにあたる。そして、デートDV行為Vの加害者はY「寿司デート費用を負担した人間」である
繰り返すが、デートDV相談の関係者による認識においては、「デート費用を全く払わない」というデートDV行為は、デート費用を払わなかったことではなく、デート費用を理由にして不当要求をおこなったことである。この異様な認識が理解できるだろうか。
「VというDV行為は、VではなくWというDV行為を意味しているのだ」という訳の分からないものが、くだんの関係者が解説する「デート費用を全く払わない」というデートDV行為なのだ。説明すればするほどに「何を言っているんだ、コイツ。頭にムシでも湧いてるのか」という思いが止まらないのだが、「こんな風に異様なんですよ」という説明なので我慢しよう。
閑話休題、この抽象的構造を別の具体例を用いて説明していこう。
ちょうど男女の被害-加害関係が逆の関係にある、HIKAKIN氏(以下、ヒカキン氏とする)結婚直後の二股疑惑騒動から具体的に見てみよう。先ずは差し当たり、ヒカキン氏結婚直後の二股疑惑騒動を当時の記事から振り返ろう。
このヒカキン氏結婚直後の二股疑惑騒動は、ヒカキン氏の結婚直後のタイミングで、(過去4年間一度も会っていない)前の彼女が、自分とヒカキン氏は交際中であるのに別の人間と結婚したと非難して、週刊誌にタレこんだ事から始まる。一方で、前の彼女と過去4年間一度も会っていないとのヒカキン氏の説明の確度はかなり高い。それゆえ、前の彼女が有名になったヒカキン氏にイチャモンを付けてマネタイズしようとしたと見て良いだろう。
ヒカキン氏はこの騒動において上記のzakzakの記事にあるように即座に謝罪した訳だが、その際に「当時の僕の至らない振る舞い」に触れている。当時のヒカキン氏の振舞に関しては誠実とは言い難く、以下のような暴言も吐いている。
さて、ここで問題である。このヒカキン氏の結婚直後の二股疑惑騒動は、以下の構造を持っている。
a'. 4年以上前にヒカキン氏が(前の)彼女に暴言を吐く等をしている
b'. 4年以上前のヒカキン氏の不誠実な振舞や暴言をネタに前の彼女が週刊誌にタレこむ
これを先に示した以下の抽象的構造に当てはめてみよう。
X:ヒカキン氏
Y:ヒカキン氏の前の彼女
不当行為V:暴言を吐く等
不当要求W:ヒカキン氏の不当行為Vをネタに週刊誌にタレこむ
さて、政府広報オンラインにおいて、DV行為の一類型である心理的攻撃に関して例示されたもののなかに「人格を否定するような暴言を吐く」がある。ここで対応関係をキチンと押さえた上で、以下のくだんの関係者の解説の抽象的構造に当てはめて、具体的に見ていこう。
さて、くだんの関係者の解説の考え方で言えば、
「人格を否定するような暴言を吐く」というDV行為は、ヒカキン氏の前の彼女を加害者とし、ヒカキン氏を被害者とする「ヒカキン氏が吐いた暴言等を週刊誌にタレこむ」ことを指す。
(・・・ホント、野口氏が取材した「デートDVの相談に乗っているある関係者」はバカなんですかね?)
再度繰り返すが「VというDV行為は、VではなくWというDV行為を意味しているのだ」という訳の分からないものが「デートDVの相談に乗っているある関係者」の考え方である。したがって、その考えによれば、「人格を否定するような暴言を吐く」というDV行為は、「人格を否定するような暴言を吐く」という行為のDVではなく、「吐かれた暴言を週刊誌にタレこんで不当要求する」等の行為のDVを指しているのだ。どうしてこんなクソみたいな考え方ができるのだろうか。
もう一度、ヒカキンの話に戻して、デートDV相談関係者とやらの考え方のあり得ない程の不条理さ加減を実感できるようにしよう。
くだんのデートDV相談関係者の解釈によるならば、ヒカキンと前の彼女との間で生じた"暴言を吐くDV行為"は前の彼女が週刊誌にタレこんだことであり、暴言を吐くデートDVの加害者は暴言を吐いたヒカキンではなく暴言を吐かれた前の彼女となる。
これが政府が広報した「人格を否定するような暴言を吐く」とのDV行為に対する理解として妥当であると誰が考えるのだろうか。ヒカキンと前の彼女の話―—加害者は女性で被害者が男性の場合―—で考えると明らかなように、「VというDV行為は、VではなくWというDV行為を意味しているのだ」というくだんのデートDV相談関係者の解釈は破綻した考えである。つまり、「デート費用を全く払わない」というデートDVの例として『別れるなら、高級寿司店に行ったお金を返せ』などと迫るケースを挙げる考えはデタラメなのだ。
そんなデタラメをデートDVの相談に乗っているある関係者という立場の人間がデートDVの解説として吹聴する。そして、フェミニストでもないような記者が、そんなデタラメを何の疑問も無く専門家のデートDVの解説として記事に載せている。まったく日本中でフェミニズムによる白痴化がとめどなく進んでいるようだ。以下の例示による解説を「デート費用を全く払わない」というデートDVの解説として納得した人間は、フェミニズムという名前のセクシズムによって洗脳されている。フェミニズムの狂った認識枠組みである「加害者=男性,被害者=女性」という認識枠組みに当てはめることが出来るのであれば、それが事実に即しているかどうかどうでもいい思考になっているのだ。
もしも、上に挙げられた例が「デート費用を全く払わない」というデートDVの具体例であるとの言説に疑問に感じなかったなら、「自分はフェミニズムに思考が歪められてマトモにものが考えられなくなっているのだ」と自覚した方がいい。