フロイトとエリクソンの発達心理学4:フロイト理論の肛門期的性格
本稿は以下の記事の続編である。また、表題にある通り「フロイトとエリクソンの発達心理学」のシリーズ記事である。
前回記事では1.5-3歳期においてフロイト理論・エリクソン理論が共に重視するトイレトレーニングを取り上げた。今回は前回の考察を踏まえて、フロイト理論における1.5-3歳期で形成される性格について見ていきたい
■なぜ「肛門期」と呼ぶか
フロイト理論において1.5-3歳期を「肛門期」と呼ぶ。フロイトの発達理論では、この時期の人間のリビドーが向かう先は「肛門」にあると考える。つまり、肛門刺激によってリビドーが充足される時期と考えるために、この時期を「肛門期」と呼ぶ。
この肛門期を考えるにあたって重要な事が前回noteで詳しく見たトイレトレーニングである。
トイレでの排泄経験は、自分の糞尿がトイレで処理されるために排泄欲求充足による快感だけを生じさせる。この経験によって排泄が必ずしも自分の糞尿から齎される生理的不快さを伴わないことを実感する。つまり、トイレトレーニングが開始される肛門期は排泄欲求充足による快感だけが存在することを知る時期である。このことから、肛門期は肛門刺激によってリビドーが充足される時期と考える。
因みに、排泄欲求は糞便だけでなく尿も関係するため、膀胱や尿道およびその周囲の筋肉にも関わりがあると私個人は思うが、フロイト理論では実際的にか象徴的にかはともかく糞便の方にだけ着目して、この時期のリビドーが向かう先は「肛門」であるとしている。
■フロイト発達理論の「固着」の枠組みと肛門期
フロイト理論において「その時期に形成される特有の性格」が生じるのは、リビドー充足が十分でない「固着」が起きた場合か、リビドーの過剰な充足による「退行」が起きた場合である。
まずは、肛門期における固着について考えよう。
肛門期における固着もまた肛門に関するリビドー充足が十分でなく生じる。では、何によってリビドー充足が不足したと考えるべきだろうか。
単純に考えても「食べたら出る・飲んだら出る」という構造から「排泄回数」自体に顕著な差が生じることは起こらない。すなわち、発生する「排泄による生理的快感」自体の量は変わらないと考えて良い。したがって、排泄による生理的快感が何かによって阻害されてリビドー充足に繋がらないと考えるのだ。
では、リビドー充足の阻害要因にはどんなものがあるだろうか。
まず挙げられるものは、排泄した糞尿が齎す不快である。肛門等に付着する糞尿が齎す生理的不快感が排泄による生理的快感を押し流してしまい、肛門に対するリビドー充足を妨げてしまう。
次に挙げられるものは、トイレトレーニング失敗による他者からの非難(あるいは失望)である。「他者からの称賛と快」「他者からの非難と不快」の関係性を学習している場合、他者からの非難もまた糞尿が齎す生理的不快と併せて、排泄による生理的快感を押し流してリビドー充足を妨げるだろう。
そして、トイレトレーニング失敗によって排泄調節力という自己の能力の低さが明確になることによって生じる不快である。身体的異常が無い場合、「排泄する・排泄を我慢する」という行為は、幼児が独力で完遂できる行為である。したがって、トイレトレーニング失敗はまさしく自分の能力の不足により生じたものであると幼児の理解力でも認識できる。すなわち、トイレトレーニング失敗は自己の能力への疑念を生じさせて幼児の自己効力感を毀損する。この自己効力感の毀損によって生じた不快は、一時的な排泄による生理的快感よりも強い不快感となって肛門に対するリビドー充足どころの状態ではなくなるのだろう。
以上より、肛門期における固着は「トイレトレーニング失敗」によって生じる。そして、トイレトレーニング失敗によって「糞尿が齎す生理的不快・他者の非難により生じる不快・自己効力感の毀損による不快」が生じて、一時的な排泄による生理的快感を押し流してしまう。トイレトレーニング失敗による不快感が排泄の生理的快感を押し流すことで肛門に対するリビドー充足が妨げられ、肛門期における固着が起きると言える。
逆に言えば、トイレトレーニングが成功して不快感が発生しないとき、肛門期における固着は起こらない。
■具体的な肛門期的性格が生じるメカニズム
肛門期に固着が生じると肛門期的性格と呼ばれる性格が形成されるとフロイト理論では考える。この肛門期的性格には「潔癖・完璧主義・強迫神経症・厳格・几帳面・計画的・頑固・強情・低い自己価値観(能力主義)・我慢強い・ケチ」といった性格特徴が挙げられる。もちろん、これらの性格特徴は肛門期に固着が起きたならば全て併せ持つといった特徴ではなく、肛門期における幼児が「リビドー充足が何によって妨げられたか」という無意識の自己認識に対応して形成される。各性格特徴について順にみていこう。
「潔癖」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合をまず見ていこう。
不快を生じさせた直接的な「不潔な糞尿」こそがリビドー充足を妨げたと無意識に認識して、糞尿を典型とする不潔さを忌避することで肛門期に十分に満たすことのできなかったリビドー充足を図ろうとして形成される性格特徴が、「潔癖」という性格特徴である。
「完璧主義・強迫神経症・厳格」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合を見ていこう。
「トイレで排泄をするという決まりからの逸脱」がリビドー充足を妨げたと無意識に認識して、決まり事の遵守によって肛門期に十分満たすことのできなかったリビドー充足を図ろうとして形成される性格特徴が「完璧主義・強迫神経症・厳格」といった性格特徴である。
更に分類するならば、「(決められた)トイレ以外での排泄によって生じた糞便からの生理的不快さ」がリビドー充足を妨げた原因であると無意識に認識している場合と、「(決められた)トイレ以外での排泄を他者から非難(失望)されたことによる不快さ」がリビドー充足を妨げた原因であると無意識に認識している場合に分かれる。「完璧主義・強迫神経症・厳格」という性格特徴であっても、それらが「他者の目を内面化」が故に生じているのであれば、後者の場合で生じた固着であると言えるだろう。一方、他者とは関係ない「完璧主義・強迫神経症・厳格」といった性格特徴であるならば、前者の場合で生じた固着であるだろう。
「几帳面・計画的」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合を見ていこう。
この性格特徴については少し説明が必要である。まず、トイレトレーニングに関して「あまり排泄欲求が強くないが、今の内に排泄しておく」「寝る前にオネショしないように水分を取るのを控える」といった、排泄に関する計画的行動のトレーニングもある。つまり、排泄による快感自体に行動が駆動されるのではなく、未来に生じるであろう快不快に対する意識的選択を行うトレーニングもあるのだ。この排泄に関する「いま為すべきを為し、いま為さざるべきことを為さない」という計画的行動が不十分であったことがリビドー充足を妨げた原因であると無意識に認識している場合、肛門期において固着が起きた「几帳面・計画的」という性格特徴になると言えるだろう。
「頑固・強情」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合を見ていこう。
前回noteで詳しく述べたが、「排泄する・排泄を我慢する」という行動は幼児が独力で完遂できる行動である。すなわち、保護者の意志と関係なく、幼児自身の意志によって為される生理的快感を獲得し生理的不快を避けることが可能な行動である。もちろん、「○○ちゃん、トイレいきましょうね~」と保護者からトイレに連れていかれて排泄することはある。しかし、そのような保護者からの関与が無くとも、自分一人でトイレに行き排泄することも可能なのだ。この「快不快状態になるのは自分の意志次第」という排泄行動の性質から、「強い意志の不足」がリビドー充足を妨げた原因であると無意識に認識すると、肛門期で固着した性格特徴である「頑固・強情」といった特徴が現われる。
「低い自己価値観(能力主義)」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合を見ていこう。
上述の通り、「排泄する・排泄を我慢する」という行動は幼児が独力で完遂できる行動である。すなわち、「肛門期=1.5-3歳期」という年齢の幼児の能力で可能な行動である。とはいえ、トイレトレーニング成功体験・失敗体験は入り交じる。この失敗体験に対して幼児が「自分の能力不足で失敗した」と無意識に認識した場合、言い換えると、リビドー充足を妨げた原因は「自分の能力不足」であると無意識に認識した場合に、肛門期において固着が起きたならば「低い自己価値観(能力主義)」という性格特徴が現われる。
「我慢強い・ケチ」という性格特徴が肛門期での固着によって生じたとする場合を見ていこう。
この性格特徴は、かなり直接的な「排泄を我慢する・排泄物を出さずに溜め込む」ことができなかったとの認識が原因で形成される性格特徴である。肛門期のリビドー充足が妨げられた原因を「我慢・溜め込み」の不十分さにあると無意識に認識した場合に、肛門期において固着が起きたならば「我慢強い・ケチ」という性格特徴が現われる。
■フロイト発達理論の「退行」の枠組みと肛門期
「退行」はリビドーが過剰に充足されて生じる。そこで、肛門期において過剰にリビドーが充足される事態とはどのような事態であるかを考えていこう。
肛門期(1.5-3歳期)になっても糞尿による生理的不快が生じないように保護者が処理を即座に行う場合、あるいはオムツの機能性によって排泄された尿による生理的不快が生じない場合など、排泄の調整を幼児が行わなくとも糞尿による生理的不快が生じない事態が「肛門期におけるリビドーの過剰充足」の事態であると言える。
この事態において、幼児自身が何のアクションを起こさずとも保護者が幼児のリビドーを完全に満たしてしまう。
この問題を考えるときのポイントは、肛門期においてトイレトレーニングが重要視されていることである。もっと言えば、トイレでの排泄行為が幼児自身の意志と能力だけによって完遂される行為であることが重要なのだ。つまり、幼児自身が独力で不快を避け快を獲得する行為である点が、肛門期のトイレトレーニングの重要性である。
リビドー充足が保護者から全て与えられる口唇期(0-1.5歳期)とは異なり、肛門期(1.5-3歳期)では幼児自身の行動によりリビドー充足を行うことが定型発達には必要である。しかし、保護者が幼児のリビドーを完全に満たしてしまうと、肛門期の定型発達に必要な「幼児自身のアクション」の要素が無くなってしまう。このために、本来は口唇期から肛門期に移行するはずの年齢において、発達段階が口唇期の段階に留まる「退行」が生じることとなる。
■肛門期で退行が生じたときの性格特徴
上述の肛門期で退行が生じる事態を見れば、退行が生じたときの性格特徴も明らかではないかと思われる。すなわち、「排泄はトイレで行う」という肛門期において学習する決まり事の遵守の態度が獲得できなかったことに起因する「ルーズさ」といった性格特徴が現われる。「欲求はすぐさま他者によって叶えられる」という状況であるために口唇期での退行と同じく、自分中心的な性格になる。また同時に、トイレトレーニングにおいて学習する「我慢」もまた獲得できないため、「短気」といった性格特徴も表れる。