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抄されぬ(追記あり〼)
抄されぬあなたに会いたい入梅の空なに色に描くの智恵子
おととい、濡れて帰るとき、ふと「智恵子抄」の「抄」ってなんだろう? と、思った。だれが抄したんだ、なんでなんだ、だんなさんだからって、かってに抄しないでよと思った。高村光太郎さんの『智恵子抄』だってぜんぶ読んでいない私が、そんなこと思っている。私は智恵子さんの女友達になったつもりでいきまいているけど、私自身の気持ちを彼女のだんなさんに、ただぶつけているだけだ。チヱさんは悲しむかもしれない。だから、遠慮がはいった。ほんとは、もっとつよい歌に書きたかった。
抄されてたまるか智恵子。いきおいよく、上の句はできても下の句がつづかない。ぼとぼとと濡れながら、駅のコンクリートのひさしの下に飛び込んだ。下の句は、いつか、やってくるかもしれないし、もう来ないかもしれない。
高村光太郎さんが 詩に書かなければ、私は智恵子さんの存在も知らなかったろう。それは、とてもとても残念なことだ。光太郎さんは書かずにいられなかったのかもしれない。それは、とてもとてもせつないことだ。
智恵子さんのなくなった日を、レモン忌とよぶそうです。レモン忌は、10月のはじめ。その頃私は、何をしているのかな? あぁ、智恵子さんの‥‥と、おぼえているだろうか。おぼえていられればいいな。