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やめるときも、すこやかなるときも
結婚前夜
#ちむどんどん反省会をツイートしてしまうほど、毎日朝ドラを見ている。
ついに主人公・暢子は結婚披露宴を開く。
式の前、暢子は母親と二人きりになり、ドラマでよく見る言葉を紡ぐ。
「お母ちゃん、ここまで育ててくれてありがとう。お母ちゃんとお父ちゃんの子供で良かった!」
涙ながらに抱き合う二人は美しい。
ただ、ちょこっと斜に構えてしまうわたしとしては、「ん?」と思ってしまうのだ。
たしかに”親ガチャ”とか言う言葉も一時期流行ったけれども、それに失敗したとは思わない。むしろ恵まれた両親のもとに生まれ、恵まれた環境のもと育ててくれたことには感謝している。
だけど、わたしが選んで生まれてきたわけではないし、他の両親の子供を経験したことはない。
そもそもこのセリフ、結婚前夜(ドラマでは式前だったが)に必ず言わなくてはいけないもの?と疑問に思ってしまった。
小説から学んだこと
さて、先日の直木賞では窪美澄さんの『夜に星を放つ』が受賞した。
窪さんの小説は、若かりし頃に『ふがいない僕は空を見た』を読んで、”なんて大人な作品なんだ”と恥ずかしくなって以来、久しぶりだった。
知人に紹介され、『やめるときも、すこやかなるときも』を読み始めた。(以下、ネタバレを含む)
主人公の一人・家具職人の壱晴は、高校生の時に交通事故で亡くした恋人も、32歳でようやく心を開いた恋人も、ある共通点がある。
家庭が貧しく、バイト代や給料を家のために稼ぎ、無職・酒飲み・ロクでなしの父親から暴力を振るわれているということだ。
そんなひどい親、見捨てて家を飛び出してしまえばいいと思いながらページを捲る。
”自分が家を出たら父親が死んでしまうかもしれない”
”ロクでなしの父親と決して離婚しようとしない母親を残して、家を出ることはできない”
どちらの女性も家族を想う、強い気持ちがあった。
自分の考えが恥ずかしくなった。
それと同時に、違う人の人生をちらっとだけでも知ることができる小説の偉大さを知ったのであった。
感謝を伝える
ここまで来たが、やはり結婚前夜に膝を詰めて感謝の言葉を伝えるのは仰々しいというか、儀式めいていて、なにかいけ好かない。
なれば、普段からその気持を伝えていけばいいのではないかと至った。
「美味しいごはんを作ってくれてありがとう」
「相談事に乗ってくれてありがとう」
その代償として、頼まれた仕事はすぐ取り掛かるし、買って帰ったら喜びそうなものをサプライズでプレゼントしたりする。
そういったコツコツした感謝が、気持ちとなって伝わるのではないだろうか。
ちむどんどんの反面教師から始まった、結婚前夜の解決方法であった。