文章で自己表現することについて

文才は発達的というよりは生得的、という研究結果をどこかでみた。
わたしは文章を書くのが苦手だ、そして、続かない。習慣的にも、書く量にしても。文章による生きたコミュニケーションというものをあまり今までの28年の人生で考えて実践してこなかったのだと思う。メールやLINEなどのチャットは別。はっきりした相手と文脈があるから。
Facebookはアナウンス義務感やらコミュニティの雑多感や広告がましさで、発信のほうはほぼやめてしまった(読むほうはそこで繋がる人もいるのでたまに見る)。Twitterは鍵を外さず通りすがりの知人に(多くて)ふたことみこと、たまにぼそっと呟く程度で済むし、タイムラインの皆さんの様々な情報が読みやすく面白いので続いている。それでも、つぶやき作成時や、「つぶやく」ボタンを押すときや、自分のツイートが流れてからしばらくの間緊張することはよくある。
不特定多数の相手への発信はむずかしい。炎上など望むべくもないが(望めるほどの発信状況でもない)。

さて、どうして文章が書けないのか。書きたいときに吐き出せるようになるにはどうなれば良いのか。これをあらためて問うのも、最近ようやく表現欲というか「内を根掘り外へ葉伸ばし」への切実さが出てきたというか、もう少しあれな言葉で言うとそうできなかったときの機会損失感が身に沁みてきたという事情から出たものである。時間とお金と広げうる人脈環境可能性を持っていても、中から絞り出しても出てくるものがなかなかない、という事態は、外界との通信を閉ざしているようなもので、とてもisolationである。ここ数年のコロナ禍大学院生活を思い返すと、なるほどこういうわけでなかなか孤独だったのか、という気持ちになる。

数年前にある人に「書くより早くいろいろ考えてしまってうまく書けない」といったら、「ゆっくり考えて速く書いたら。」と言われた。それもそうだ。でも実際には早く一度に色々と発散分岐した考えにうつるので、線形表現である文章に戻すのは簡単ではない。
また考えたことを全部書いていったら良いのでは、と思ってやってみたことがあるが(それは紀行文か体験記か何かの文脈だった)、途中で細々としたことを書き切る前に飽きてしまって挫折した。
論説文的なものでフォーマットが決まっていれば書けるのでは、とそれも一理ある。小学校をはじめ諸々の学校教育ではあの400字詰めの原稿用紙というものや、レポートや論文の体裁というそこに内容を入れていけばだいたい形になるというもの、時間制限もあってなんとか提出せざるを得ない状況。これは効果的で、この環境でなんとか書けた思い出はそれはそれでいくつかある。ただ、取り組みが定期的かつ習慣的にならなかったのだ。それに、期限があっても書けなくなるものは書けない。大学で世界史か何かの科目の期末レポートがあり、600字が3つ、1200字がひとつ、みたいなものだったが、600字のひとつも埋められずあきらめた思い出。内容自体がよほど無理だったんだろう(世界史は高校で触れて最初についていくのを諦めた科目でもあった、なんでまた大学でという疑問もあるがたぶん諦めきれなかったんだろう)。
学部のころ比較的多く書いたのは、学生能のコラム記事でたぶん2500字くらいに納めた。能と能舞台での体験を探検部に寄稿したときは8000字くらいで、それが当時最高記録だった。
卒論の文字数はもう忘れたが、まず迷わず書けるはずというmethodから詰まりまくった。修論はよくあれで通されたというもので、量からして厚くはなかった。そもそも学部1回生時の物理学実験レポートはまったく肌に合わなかった。どういうふうに合わないかといえば、記述の粒度というか、概念抽象化の程度が自分の出力感覚と合わないというやつなのではないかと思う。合わないのでまあ穴埋めや字面を繕っては書けるけれど(理科の入試問題が穴埋め中心だったのにはずいぶん助けられていた)、それらを使っても文章記述にしようとすると何だかどうしても詰まってしまうのだったと思う。

こうして、概念形成・概念認識ということに、特に大学院になってから興味を持ち始めた。意識的に概念形成の逆をいっていた時というのは、高校生の頃で、山を登ったり森を歩いたり街を走ったりしながら、あるものをあるままに見る、あるいは見えるままにみる(わたしの普段の視界は片目1.5以上でまあ高解像度である)、聴こえるままに聴く、そして心が動く、という世界を愛していることにかなり自覚的になった。写真を撮るのはその世界を記憶と記録に留めるので、好んでコンデジを山に携行し歩きつ止まりつシャッターを押した。写真集を見返すとその時の心の動きが呼び起こされた。そうしているうちに、どこかそのカメラ録画的世界に限界を感じつつもあった。写真集を見返すと、写真に残っているものごとはよく思い出されるが、それ以外のエピソードはかなり出てこなくなると感じた。直接体験はもちろんカメラスマホよりは多チャンネルで記憶に根ざしていて、豊かなものだけれど、画像としてみたときに、単純に入力の最適パターンを学習してしまうことで新鮮味が薄れるし、高解像度の視聴覚時空間を味わいつくしなぞりつくしている瞬間にどこか過去充足的な未来の可能性のない感じを一緒に味わうことがあった。
それでも、言葉、一連の文章によって世界を切り取ることに関する嗜みにはあまり縁を感じてこなかった。文章は、学校で諸々の知識をやり取りしたり、本や新聞やテレビから情報を得るためのものだったり、読解の課題になるものだったり、ファンタジーの中で進行する物語を伝えるものだったりして、まあそれなりに付き合ったが、特にそれ以上の認知・認識的な好奇心の対象ではなかった。
話し言葉、音としての言葉、詩になるような散文的な言葉には楽しさがあった。音読などは好きだったし、古文漢文英語は今から思うと自分のなかで音楽的な、運動的な親しみを育てるように楽しむようにして好んでいたと思う。自分の身体と心で奏でる音は、うまくできる・できない・心が乗って流れる・流れないの世界で、意味だとか、情景だとかは、そこにある音の運動が乗るべき器や、そこに添えるスパイスくらいのものだった。言葉が言葉として、文章がその文章としてこの世に誰かによって語られざるを得なくした生成原理としての源泉的な概念形成について、気づきが及ぶことがなかった。ある意味無邪気で幸せな育ち方をしてきたのだろう。ちなみにオノマトペや韻を踏んだ言葉や駄洒落や返還ミスやもじりなどは昔も今も大好きである。
概念記号表現の最たるものといえば数学であると思う。幸い、高校から大学にかけて、楽しく数学を嗜む人が何人か身近にいらっしゃり、彼らの語る代数・幾何・数論などの数学的美しさには努めず共感してきたが、そのような表現を心の底から身体化する感性は生まれから違うものだと思った。わたしは数学を身体的パターン認識で体得しようと努力し、まあ程々の点数を取ったり単位を取ったり取り直したりしつつ理系を押してきたが、手応えとしてはあまり成功しなかった。
そんな中で、ようやく段落頭の話に戻り、大学院にて。認知言語学の概念メタファー理論というものに授業で触れ(それが最初だったか?自信がないが少なくとも認識に対する自覚的な転機がその頃であったと思う)、日常のあらゆる言葉遣いが比喩表現のようなもので概念認識の反映だよ、という言葉の見方は、そういうのが欲しかった、という、グッと来るものだった。どうしてグッと来たかといえば、創造的な言葉の生まれ方と直接体験的な世界をつなぐという意味で、わたしにとっても大いに身近に関わりのあることだったからだ。
大学に入ってから能楽というものを始めた。観て聴くのもいいがそれだけではなくて、師匠や先輩に習い、自分の身体で、立ち方、摺り足の仕方、声と息の出し方、を試行錯誤する。飽かず動かずにいたり、当然のようにゆっくり動いたり、少しも慌てずに強く速く動いたりするための身体感覚を探り、試す。これか!と掴んだものを、ひとに伝えようとする、その時に、師匠や先輩から借りてきただけではない、自分の感覚を言葉で探り当ててあらわすとき、また思うように伝わったと感じたときのよろこびは、ことばとからだとひととを繋いで巡り巡る血液のようだった。

さて、気がついたら3000文字に近づこうとしている、いや、前を書き足したのでとうに3000文字を超え3500文字も超えている。重要なことは、わたしがこうしてTwitterの延長のように、文章が書けないこと、概念形成・概念記述の感覚がなにか自分の憧れや(置かれた環境に求められた?)理想形とずれていると感じていたことのいきさつを考えて、音楽や運動的な身体感覚と言葉と概念認識との結びつきに至ったということである。

でも、まだ、書いて考えないといけないと思われることが残っている。瞬発的な言葉の表現力だけでは細切れの現象しか伝えられないし、すでに知っている概念しか転用できない。まだ知ったことのない複雑な概念や、大きくて長い含蓄のある有機体的な文章を、どのようにして体験し、世に生み出すことになるのか。書きながら、これは生み出しながら体験し、読まれながらまた体験されるのだ、と、習ったような概念を思い出した。書かれて仕舞えば、それが身体から離れてひとり歩きをしだすという。書いたあとしばらく自分から離れない文章というのは、少し苦しいのだが、独り歩きされてないということだろうか。ちなみに今は、それほど苦しくない。ということは、ううむ、書きながら、そうなる状態を待ちうけるしかないのか。まあ、また戻ってこようと思います。

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