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黄昏時のヨハン・シュトラウス

西陽が翳りはじめた蝉時雨の中、闘病中だった父と二人でAMラジオを聴いていた。弱い電波を拾うため銀色のアンテナを目一杯に伸ばしたポータブルラジオから、不意にヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツが流れてきた。滑舌の良いパーソナリティが「エーリッヒ・クライバー指揮によるオーケストラ版のSPレコードです」と告げた。

「優雅でとっても気持ちのいい音楽だねえ。」と父。
少しボリュームを上げながら「へえ、オヤジはウィンナ・ワルツが好きなんだあ。」と応えた。

若い頃の父は、機嫌の良い時などにハリー・べラフォンテの「バナナ・ボート」や、ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」をおどけて歌うくらいで、あとは仕事で縁のあったアンディ・ウィリアムスのレコードを気まぐれにかける程度。
口数の少ない父と、ほとんど音楽の話をしたことがなかったので、ウィンナ・ワルツが好きと言うのはちょっと新鮮な印象を受けた。
学徒動員でゼロ戦を組み立てさせられたという戦中派の男にしては、決して威張らず、決して誰にも怒らない、女性に親切な、ひょうひょうとした性格なので、確かにそんな父には一周して脱・煩悩的ですらあるシュトラウスのウィンナ・ワルツが、よく似合っているかもしれないと独り言ちた。

宮廷舞踏用の軽音楽として人気を博したウィンナ・ワルツは、作曲者であるJ.シュトラウスの友人でもあったアルフレッド・グリュンフェルト(1852-1924)という、当時の貴族から人気を博した宮廷ピアニストによって華やかなヴィルトゥオーゾ・ピースとして編曲され当時のピアニストたちにも盛んに演奏されることになった。

グリュンフェルトは、磨き抜かれた真珠の様に美しいピアニッシモと典雅なフレージングで、バッハからショパン、ブラームス、グリーグ、ドビュッシー、そしてシュトラウスと自作曲を、19世紀の終わり頃からシリンダーと平円盤に演奏を多く残したレコード録音のパイオニアでもある(1889年に世界初と思われるピアノ自作自演のシリンダー録音を行なった大作曲家のブラームスとも友人であったが、ほぼ同じ時期にグリュンフェルトも同じくシリンダー録音を残していることが昨今明らかになった)。グリュンフェルトのショパン演奏はたった数曲しか録音されていないものの、19世紀の宮廷ピアニストがどのような様式でショパンを弾いていたのか、という実に興味深い事実を現代に伝える貴重な名演揃いである。

戦後間もなくの日本楽壇でもグリュンフェルトの名は鳴り響いていたものの、ある評伝では「既に伝説のピアニストであって、レコード録音も残されておらず非常に残念だ」というようなことが記されている。これは情報不足であった極東の敗戦国では致し方ないことであろう。しかし、現代ではグリュンフェルトのレコードが沢山CD復刻され、ウィンナ・ワルツ人気の立役者でもある大ピアニストの実演を手軽に聴けるのだから、音楽好きにとってはまったく良い時代になった。

さて、J.シュトラウスのウィンナ・ワルツには「春の声」「ウィーンの夜会」「美し青きドナウ」「人生は一度きり」「ジプシー男爵」「ウィーンの森の物語」などなど沢山の作品あるが、あのとき父と聴いたクライバーは「皇帝円舞曲」だったような気がする。
黄昏時に二人でJ.シュトラウスを聴いていたその数日後、父は家族全員に看取られながら安らかに息を引き取った。シュトラウスも、ブラームスも、グリュンフェルトも、クライバーも、そして遂に僕の父も鬼籍に入ってしまった。それでも時代は、ウィンナ・ワルツの軽やかなリズムに乗って、ドンドンと流れていくのであるなあ。

皆様からいただいたサポートは、ピアノ歴史的録音復刻CD専門レーベル「Sakuraphon 」の制作費用に充てさせていただき、より多くの新譜をお届けしたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。