マットのまいちゃん⑥
このお話は個人的な思い出補正と、
個人特定回避のフェイクを含みます。
フィクションとノンフィクションの狭間を
どうぞお楽しみください。
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「せっかく来たんだからさー。抜いていきなよー。気持ちよくしますぜー。」
自分で言っておきながら芝居がかった口調に、まいちゃんはケラケラ笑っていた。
あれから2度ほど、お店に行ってもプレイ無しでお茶飲んでお菓子食べておしゃべりするだけになっていた。
「エロいことしようよー。なあってばー。いいじゃん、減るもんじゃなしー。」
腕を引っ張ってぶんぶんと振り回す。
自分の事ながら、何をしに来ているのか分からなくなっていた。
いまだ彼女との距離感は迷走中のまま。
いまだ恋愛感情は引きずったまま。
あっさり振られた心の傷も癒えぬまま。
それなのに出勤を確認し
自分の休みを合わせ
ふらふらと来店し
話をして帰る
それだけ。
店を出た後は何しているんだろうという自虐的な気持ちと、彼女の笑顔や言葉を思い浮かべて少し幸せな気持ちが混ぜごぜになりどうにかなりそうだった。
キスはおろか自分から抱きつくようなこともできない。
そういったことを彼女がしようとしても、
まあまあ座ろうなどと言って遮ってしまう。
自分の性欲や劣情を出せなくなっていた。
好きであるが故に。
自分も好きで相手も好き。
それであるならば愛も欲もぶつけられていたし、相手の感情も受け止めていたと思う。
現状は違う。
自分は好きであっても
彼女にとっては一人の『客』でしかない。
身勝手な感情をこれ以上押し付けるのは
迷惑でしかないだろう。
そう考えてしまうと何もできなくなっていた。
あのメールを送信した後、会いに行ってしまったことで何かのバランスが崩れていた。
ずるずると会いに来ては何もできず
他愛もない話をして半分癒され半分傷ついて帰る。
勝手に好意を抱き
勝手に傷ついている。
甚だ身勝手な話だ。
部屋のインターホンが鳴る。
もうすぐタイムリミットだ。
帰り支度を始め立ち上がった自分にまいちゃんが質問を投げかける。
「まおさん、今日この後の予定ある?」
何も無い。ただ家に帰るだけ。
「そしたらさ、水着買いに行くの付き合ってよ!」
どういうこと?
「西武の上の方の階で水着楽園ってのやっててね。今年の水着、一緒に選んで欲しくて!」
そういう事を聞いたのではなく
なぜ自分となのか…。
「えー、だって男の人の意見も聞きたいし!」
いろいろ整理できない。
「お店を出たら右の裏手で待っててよ!10分くらいで行くから!」
確かに今日はラストの枠。
彼女の接客も自分が最後のはず。
「うんじゃあ、決まりっ!」
腕を引かれ部屋を出て階段を降りる。
「お客様お帰りでーす。」
断ることもできず
店の横の小道に佇んでいると
本当に10分弱でまいちゃんが裏口から出てきた。
「いやー、お待たせおまたせ!」
あ、うん。これくらいしか返事ができない。
「ほらー行くよー?」
さっさと駅前に向かう彼女を追いかけるように着いていった。
西武百貨店の上階の催事スペースに、ずらりとカラフルな水着が並んでいた。
なるほど、水着楽園とはこの催事のタイトルなのかとやっと腑に落ちる。
夕方17時を回ったくらい。
平日だが他にも女の子の姿がちらほら。
まいちゃんはすでに多数の水着を前に検討を始めている。
自分はというと、女性の水着が並ぶ売り場にあまり近づけずにいた。
場違いすぎて、どうしたものか。
しばらくして、まいちゃんがこちらに駆け寄ってきた。
「ね、ちょっとこっち来て!」
腕を掴まれ水着売り場に引き込まれる。
「これとこれ、どっちが似合うと思う?」
両手に持った水着を交互に胸の前で合わせて見せてくる。
困った。
女の子の水着なんて選んだ事がない。
それ以前によくよく考えたら、学校の体育以外で、同年代の女の子の水着姿なんて見たことがなかった。
どっちも似合うと思う。
それしか言葉が出て来なかった。
「もー、まおさんの意見を聞きたいのに。」
頬を膨らませられても、こちらもパニックになっているのだ。
「んー、じゃこっちにしよっと。」
自分で決めてくれたようだ。
いやはや申し訳ない。
「あと一つはまおさんが選んでくれたやつにしよーっと!」
は!?
言われた意味が飲み込めない。
「これとは違う感じのやつで、まおさんが私に着せたいの選んでよ!ね!」
無理だ。
ウインクされても無理なものは無理だ。
今年の流行りもまいちゃんの好みも分からないのだから。
「まおさんが選んでくれるってのがポイントなのよ(笑)さあさあ選んで!選んで!」
そんなことを言われても……。
突然の事態に目を回していたが、ある事に気付いてしまう。
気付かなければよかった事に。
まいちゃんが海やプールに行き
今日買った水着を着ているとき
隣にいるのは自分ではないのだ。
きっと彼氏と────────
そこからはもう地獄のような時間だった。
彼氏と楽しい時間を過ごしているであろうその時に着る水着をすでに振られた男が選ぶ。
なんと惨めなことか。
この時はそんなことしか考えられなかった。
パニックにパニックを重ねられたような状況。
本当は自分で勝手にパニックになっているだけで、まいちゃんが何故自分を買い物に誘ってきたのかなんて考える余裕も彼女に対する気遣いも何一つできなかった。
一刻も早く、この時間を終わらせたかった。
でも適当に選んだのでは見透かされそうで
水着は真剣に考えた。
パレオ付きのセパレートの水着を選ぶ。
「なるほどね!よし、試着だ!すいませーん!」
店員さんを呼ぶ。
まいちゃんと自分、二人連れ立って試着室の方へ案内される。試着室に入る彼女からそばで待っているように言われる。
程なくして試着室のカーテンが開く。
「どーお?似合うー?」
最初に自分で選んだ水着をまとったまいちゃんが微笑みかける。
眩しい。
最近は彼女の裸を見ていない。
が、水着の中の肢体まで想像してしまう。
でもこの水着姿は本来彼氏に見せるためのものではないか。
なんで自分はここにいる。
消えてしまいたい。
そんな気持ちを押し殺して
できる限りの笑顔を作って
なんとか明るい声を絞って
とっても似合うよ!すごく可愛い!
そう言った。
嘘は無いが、言うのは辛かった。
続けて自分が選んだ水着も試着し、
そちらも想像どおりよく似合っていた。
「うん!じゃ、これとさっきの2つ買う!」
お会計してくるから待っててと言い
まいちゃんはレジに向かう。
やっとこの時間が終わる。
精算を終えたまいちゃんが小走りでこちらに駆け寄ってきた。
「お待たせー!」
少し声のトーンを落として続ける。
「なんか…無理矢理付き合わせちゃったみたいでごめんね…今日はありがとう…」
彼女はとっくに気付いていた。
目の前の男の様子が、すっかりおかしい事に。
水着を選ぶなんて初めてで上手くできなくてごめん。そんな事しか言えない。もっと違う事を言えばいいのに。
「やだ…謝らないでよ…」
「無理に誘ったのは私なんだから…」
彼女の笑顔がぎこちない。
まいちゃんのこんな表情は見たことがない。
彼女をこんな顔にさせてしまったのは誰だ。
紛れもなく自分であることは明白で。
だが、この時の自分に余裕なんて無かった。
それじゃあ、これで。
そう告げて帰途につく。
「うん…またね」
引き留めることができない彼女も
それだけを言うしかなかった。
20経った今でも後悔している。
あの時、楽しく水着を一緒に選んでいられたら
買い物の後、食事にでも誘えていたら
自分とも海かプールに行こうと言えていたら
その時には自分が選んだ水着を着て欲しいと
やっぱりあなたが好きだと
自分と付き合って欲しいと
笑って本心を告げていられたら
その先の人生は違ったものだったのか
後悔まみれのこの日の出来事は
きっと死んでも忘れられない。
(続く)