マットのまいちゃん⑨

このお話は個人的な思い出補正と、
個人特定回避のフェイクを含みます。
フィクションとノンフィクションの狭間を
どうぞお楽しみください。

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22時を回った頃。

自宅のベッドに横になって携帯を触っているとメールの着信があった。

まいちゃんからのメール。

自分からメールを送ることはなかった。

たまにはメールしてとも言われていたが、自分からどんな内容のメールを送っていいのか分からなかった。読んでる相手の顔が見えないから尚更。
くだらないメールの相手で彼女の手間を取らせてしまうのは失礼なのではないか。
仕事中でもないのに客の相手など、と。

そんな事を考えてしまい、メールを送ったことはなかった。


今夜の彼女からのメールは『退屈なので話し相手になって欲しい』との事だった。

他愛もない話。
数回の返信の後に彼女から携帯の電話番号が送られてきた。
メール打つのが面倒だから直接話したいと。

声が聞けるのは素直に嬉しい。
なので、たいした躊躇も無く電話をかける。

「まおさん、ありがとー。」

なんでもない会話が続く。
30分くらい話しただろうか。

「ねえ、まおさん。今からウチに来れない?」

彼女の自宅はおそらく池袋周辺。
自分は千葉の松戸に住んでいた。

すぐ行けるという程の距離ではない。
今から支度して出たとしても終電で池袋に着くかどうか。

「一人でさみしいんだ。来てよ。ね?」

ここまでの会話で、自分が明日は休みだということを彼女も知っている。

今から…彼女の自宅に…?

「ねぇ、電車なくなっちゃうよ?」

それはそうだが、深夜に女性の一人暮らしの家に行っていいものか。

しかも、恋愛感情をまだ少なからず引きずっているような男なのに。

まあ、でも。

ここ最近の彼女の接し方から感じるのは
『客というより友達のような距離感』だった。

きっとずっと叶わぬ恋。
友達と割り切る方が近くにいられる。

彼女が求めるものが『友達に近い客』である自分ならば、もうそれでいいかと思い始めていた。

今から行く事を決めた。

彼女の自宅は池袋から数駅下ったところらしい。

通話を切り、数分で支度を終え松戸から池袋方面へ向かった。





結局、電車で来れたのは池袋までだった。
そこから西武池袋線で数駅先の中村橋へはタクシーで向かった。
中村橋の駅前に着いたところで、まいちゃんにメールをする。
程なくして彼女が現れた。

着飾っていない私服は新鮮だった。
やっぱり可愛いと思ってしまう。
友達に近い『客』でいようと決めたのに、
決心が揺らぎそうになる。

「ホントに来てくれた!嬉しい!」

深夜1時頃、人通りのない駅前ではしゃぐ。

近くのコンビニで酒などを買い
彼女の自宅へ向かう。


駅から数分のところの古めのアパート。

「散らかってるけど、どうぞー。」

和室のワンルーム。とても質素。
散らかっているとは言いながら、きちんと整頓されている。
この日の服装と同じような飾り気の無い部屋は意外だった。

そのせいか思っていたよりも緊張はしなかった。
高級マンションとか、いかにも女の子って部屋とかだったらドギマギしていただろう。


レモンサワーの缶を開け電話の続きの話をする。
取るに足らない会話だったかもしれないが楽しい時間だった。


1時間もしないうちに、まいちゃんはベッドに潜り込んだ。
深夜2時過ぎ、もう眠たくなったのだろう。
自分はベッドの横に背中をつけ、まいちゃんに背を向けたかたちで話を続けていた。


話がひと段落し、少しの沈黙。
このまま寝るのかと思ったとき、背後から声がかかる。


「ねえ?」


「しないの?」


なにを?


「ひとつしかないでしょ?」


え?そういうこと?


「さみしいから来てって言ったじゃん。」


彼女が自宅に呼んだ真意に今さら気づく。
そんな事は微塵も期待していなかった。
だって自分は彼氏などではない。
風俗の客の一人だ。
お金を払っても彼女とはそこまでは出来ない。


そんな事は思ってなかったことを伝える。
例え行為に至るとしてもゴムすら持ちあわせていない。


「でもウチまで来たんだからさ。こっちに来てよ。」


振り向くと
まいちゃんが笑って手招きをしていた。

その笑顔は普段のものではなく
妖艶とも言える笑顔だった。



いや、しかし。
彼氏がいるという事実が
どうしても心を興奮の方に傾けさせない。

(本当に彼氏がいるか実際に確認したわけでもないのに、彼女がだいぶ前に言ったことを盲信していた。)

再び彼女に背を向ける。


「もう……ここまで何しにきたのよ?」

呆れたような声。

行為をするのであれば
ちゃんと彼氏と彼女になってから
非常に青くさいが
それがその時の自分の判断基準だった。

それになんで自分なのかも分からなかった。
振った相手を自宅に呼んでベッドに誘う。
この状況が混乱に拍車をかけていた。


「ああ……そういう人だったね、まおさんは。」

「ごめんね。もう寝るね。」


背中越しに布団をかぶる音が聞こえた。
自分はベッドに背を向け片膝を抱える。

眠れたのか眠れなかったのか
虚な頭のまま朝までそうしていた。






携帯のアラームが鳴る。
自分のものではないので、まいちゃんの携帯が鳴っているのだろう。


「ん……。おはよ……。」

背後からの声に振り向こうとする。

「あーだめ。寝起きの顔は見ないで。」

それもそうかと背を向けたままおはようと返す。

「そのまま下向いててね。」

ベッドから降りた彼女はおそらく洗面所の方へ向かったと思う。

しばらくすると近くで「もういいよ」と声がした。

自分も洗面所を借りる。
ハミガキセットはコンビニで買っていた。
酒とハミガキセットだけ買っていた。

部屋に戻ると暖かい紅茶があった。

「今日、まおさんおやすみなんだよね?お店来てよ。」

なんだかんだで10時になろうとしていた。

昨夜は申し訳ないことしたという思いもあったので、お店に行くことにした。

「じゃあ、じゃあ。ここで予約の電話してよ!」

促されるように彼女のお店に電話をする。



『はい、恋愛マットde同好会です。』

あ、今日の予約をしたくて…

『女の子のご指名はございますか?』

まいさん、お願いします

『少々お待ちください……まいさんですと12時からのご案内となります。』

では12時で

『ありがとうございます。お時間の方は?』

60分でお願いします

『お客様のお名前をお願いします。』

桜岡です

『桜岡様、ありがとうございます。それでは、12時からまいさんで。お待ちしてます。』




「うわー!自分が買われるところ、初めて聞いちゃった!!」

通話が終わると妙に興奮したまいちゃんが隣にいた。

「わー、そんな感じなんだ!私って風俗嬢なんだって、今めちゃくちゃ実感してる…!!」

昨夜とは打って変わったいつも通りのテンションのまいちゃんだった。
無理にそうしていたのかもしれない。
気持ちを変えるきっかけのため、自分に電話をさせたのかもしれない。

「ありがとねー。なんか呼び出して営業したみたいになっちゃった。ふふ。」

笑顔もいつも通り。
これも無理くりだったのかもしれない。



その後、自分は先に彼女の家を出て池袋に向かった。

そして12時に彼女と再会する。

自宅にいた彼女ではなく、
マットヘルスのまいちゃんと。

その日、お店の部屋でも彼女から誘われた。
エッチなことをする場所だし、ここならゴムもあると。

が、結局しなかった。
話も尽きていたので普通のプレイをして終わった。


当然のことながら
彼女からの誘いはこの1回だけ。




あの時の彼女の真意は分からない。

もし、あの夜に流されるまま彼女を抱いていたらどうなっていただろう。

抱く前にもう一度告白していたらどうなっていただろう。



マットヘルスのまいちゃん
忘れられない彼女との思い出はいくつかあるが
この日の出来事はずっと忘れられないでいる。

(エピローグへ続く)

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