マットのまいちゃん⑩(完)
このお話は個人的な思い出補正と、
個人特定回避のフェイクを含みます。
フィクションとノンフィクションの狭間を
どうぞお楽しみください。
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「今日はね!特別なお部屋なんだよ!!」
お店の階段を登りながら、まいちゃんが嬉々として自慢げに言う。
このお店は1階が受付で2階と3階、それに地下1階に接客用の部屋がある。
いつもは3階まで登るのだが、今回は2階だった。
2階の奥の部屋に通される。
いつもの部屋の1.5倍は広い。
しかも部屋の奥には風呂場というかシャワースペースまである。
「すごいでしょ!ここはね、いつも◯◯さん(NO.1のキャストさん)が使ってるお部屋なの!」
このお店には「MANZOKU」や「遊艶地」など当時の風俗情報誌の表紙やグラビアを飾る絶対的なランカーが数名いた。
そのNO.1が普段使っている部屋だという。
「今日は私が使っていいんだって!」
とても上機嫌なまいちゃん。
彼女も最近は早番の5位あたりに入るようになってきていた。
ゴキゲンな彼女はプレイもノリノリだった。
「来月はいつ来るー?」
その日のプレイ終わり。
言わなくてはいけないことがある。
自分は転職を決めていた。
30歳になるこの年に。
大学生のバイト期間を含めて10年以上勤めたドーナツ店を退職する。
様々な縁があり小さなバーでバーテンダーとして再出発をする。
安定した職から、不安定な水商売へ。
収入が極端に減る。
新宿区への引越しの費用も痛い出費だった。
そして、まいちゃんは早番。
こちらは明け方まで働き昼間は寝るようになる。
時間帯が合わない。
今までのように月1〜2回来るのは難しくなる。
「そっかぁ。」
下を向き、すぐに顔を上げてこちらをまっすぐに見てくる。
「まおさんが決めたのなら応援するよ!」
とても真剣な目。
「それで、たまにでも来て次のお仕事のお話を聞かせてよ!」
まいちゃんに背中を押され
夜の世界に足を踏み入れていった。
その後、低収入のためバーを掛け持ちするようになり、思うように休みも取れなくなっていった。
日付が変わる前に上がったとしても、昼間は系列店のランチ営業に駆り出される。
たまにお店のHPは見ていた。
まいちゃんの出勤は徐々に減っていったように覚えている。
本当にタイミングが合わなかった。
まいちゃんと最後に会ってから
一年近くが経とうとしていた。
暑い真夏日だった。
恵比寿のバーのランチ営業が終わりまかないを食べて、夜の営業の仕込みを始める前の休憩時間に携帯が鳴った。
着信────────
相手はまいちゃん────────
見間違いではなかろうか。
店の中は電波がよくない。
慌てて外階段に出て電話を取る。
「もしもし、まおさん?」
間違いなくまいちゃんだ。
「よかった。繋がって。」
この一年近くの間、通話はおろかメールのやり取りも無かった。
急な電話に驚く。
「あのさ。」
声のトーンが暗い。
どうしたのだろう。
「私、今日でお店を辞めるんだ。」
突然の報告。
この時代は写メ日記やSNSは無く
そんな事を事前に知る術もなかった。
辞めるとは別の店に行くのだろうか。
「ううん。他のお店には行かないよ。」
「この業界から完全に身を引くの。」
脳が情報を整理する間も彼女は話を続ける。
「それでね、最後にまおさんに会えたらと思って電話したんだ。」
そんな。
「今日、19時まで……時間、あるかなぁ?」
仕事を投げ捨てれば会いに行ける。
が、その時の自分はそれができなかった。
「だよね。こんな事、急に言われても困るよね。」
彼女は笑って言うが、声はいまだに暗い。
どんな理由があるのだろう。
目標としていたお金が貯まったとかなら、もう少し明るくてもよさそうなものだが。
「うん、ちょっと……ね。」
理由は明らかにしてもらえない。
きっと「ちょっと」の理由ではないことは
なんとなく伝わってくる。
「お仕事、大変そうなのかな。」
決して楽な暮らしではなかった。
「でも…頑張ってね!」
「まおさんなら絶対に幸せになれるから!」
「まおさんが選んだ道ならきっと大丈夫だから!」
通話が終わろうとしている。
「まおさん、今までありがとう。」
「本当にありがとう。」
「最後に声が聞けてよかった……。」
「元気でいてね。」
「バイバイ。」
通話が終わった。
携帯電話を握りしめて
しばらく立ちすくんでいた。
じりじりと夏の暑さが身を焦がす。
池袋のマットヘルスのまいちゃんとの思い出。
20年以上経っても断片的に覚えている。
楽しくて。苦しくて。やっぱり楽しくて。
20代最後の記憶。
(完)
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あとがき
ここまで拙著をお読みいただき本当に本当にありがとうございます。
私のかなり昔の思い出話でした。
このお話は実話をベースとしていますが、多分に創作を含んでいます。
それでも、まいちゃんはかなり変わった風俗キャストだったのではないかと思います。
そして、彼女にとって自分はどんな客だったのでしょうか。
彼女がその後どうなったのか
今はどうしているのか
まったく分かりません。
どこかですれ違うことがあって
たとえ気付いたとしても
声を掛けるような事は
お互いに無いでしょう。
自分自身、いろいろ後悔もあります。
それはその後の自分の人格形成にかなり影響しています。
好きなことは好きと言い続けよう
想いは伝え続けよう
言うべき事はしっかり言葉にしよう
大切なものには手を伸ばそう
他の何をおいてでも
掴んだ手は離さないようにしよう
迷惑にならない範囲で
相手のことにも踏み込もう
何年か掛かりましたが
極度のコミュ障だった私は
そんな風に変わっていけました。
大切な思い出です。
改めてここにまいちゃんへ感謝を残します。
出会ってくれて、ありがとう。