精神分析
Freud,S.が精神分析を創始したのは、人々がどのようにして自分の心を知り、その洞察を介して、心に対する主権を回復することができるか、という課題に答える努力の過程からであると言われている。Freud,S.は1893年以降、ヒステリー研究、強迫神経症の研究から精神分析の基本的な理論を示し、晩年に発表された夢の分析、生の本能・死の本能理論は、後の精神分析の新たな展開の礎となった。
精神分析理論では、意識的な力と同様にあるいはそれ以上に、無意識的な力が私たちの行動を決定していると考える。精神分析技法の自由連想法(頭に浮かんでくるものを意識的に批判・選択しないで語ることを指示し、日ごろ考えない、見ない、聴かないようにしている心の声と心的現実を語るように抑制をゆるめていくことをねらいとしている)とは、この無意識を意識化するための方法であり、対話を通してなされる。
また、1923年『自我とエス』において、Freud,S.は心的装置について、心的構造論を発表した。自我、イド、超自我からなる図式を提示し、この3つの力動的な不均衡と外的現実の圧力から心の平衡状態が保たれなくなる可能性を唱えた。自我はイドの無意識的な欲求からなる圧力と、外界の現実、超自我からの圧力につねにさらされており、この三者の均衡を保つために、自我は健康なはけ口を求めることもあれば、自我が不均衡な防衛機制を働かせてしまい心身の失調に至ることもあるとしている。
さらに、Freud,S.は、性的(生的)な身体活動部位の発達的変化から、口唇期(0歳~1歳半)、肛門期(1歳半~3歳)、エディプス期(3歳~6歳)、潜伏期(6歳~12歳)、性器期(12歳以降)の5つの精神性的発達段階を提唱している。心の平衡状態が失われたときに、その処理道具として自我が無意識かつ反射的に発動させる防衛機制の概念を提唱し、防衛機制は発達段階によって活性化するものが異なると唱えている。神経症の症状は防衛機制が現実に合わない状態で過剰かつ不適切に生じたものと考えた。精神性的発達段階のどの時期に心的外傷を経験したかにより発動する防衛機制が異なるため症状も微妙に変化し、相違することがある。