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インテリアの仕事 シャルロット・ペリアン最後の来日イベントを担当して
前回の続きです。忘れられない1988年。
シャルロット・ペリアンの最後の来日。亡くなる約10年前ペリアン86歳のとき。この古い写真は、私がペリアンに許可をいただき撮ったもの。こんな近くで。今思い出してもどきどきします。
ル・コルビジェ Le Corbusier 、ピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret とも仕事していた、今では多くが知る、世界的な建築家デザイナー。
有能な先輩が辞めることになり、私は急遽その仕事を全て短期間で引き継ぐことに。バブルも後半ではあったが、まだインテリア業界は小さかったものの、だからこそ熱が活気があった。
創業者のもとで試験をして着任した、兼務のVMD,MD,チーフコーディネーターとしての最初のイベントの仕事が、このペリアン。幸運だった。
展示会に向けて、わたしはペリアン側から事前に届いた図面通り家具を配置し、装飾などを担当した。
まだ新人でプレッシャーは大きく、会社はまだ小さかったので予算もない。誰も助けてくれない。ネットも情報もない。
今ではよく知られるようになったが、ペリアンは日本の仕事も多く、日本的なものを多くデザインに取り入れていた。
バンブー=竹、もその一つなので、当時ではまだ珍しかった、大胆に竹を使って生け花ができる男性のお花屋さんに依頼を。
当時は和の花をモダンな空間でアレンジすることは珍しかった。竹のアレンジで美しい展示会場に仕上がった。
ショールームは、飯倉片町近く アクシス AXISビルの中の マリオ・ベリーニ Mario Bellini デザインの、迷路のような幻想的な大変美しい作りだった。
ペリアンの美しい家具は、置くだけで充分完璧だが、そのショールームに置くと陰影が生まれ、さらに美しくみえた。
この古い写真はその時の、1988年 'S.ペリアン展' 開催。AXISビルにあったマリオ・ベリーニのデザインの美しいCassinaのショールームにて。
この縁は、20年後まで繋がった。
この後も続きます。