シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと
シャルロット・ペリアン最後の来日イベントが、カッシーナジャパン時代に数千件は担当したイベント企画の、最初の仕事。1988年のこと。(その時のことは以前に書いています)
そして、それを機に、シャルロット・ペリアンとパリ時代からご友人だった、画家の堂本尚郎さんには、大変お世話になった。ペリアンの上記の来日イベントにもご協力いただいた。
堂本さんは、フランスでも多くの勲章など、日本でも紫綬褒章や文化功労賞など多く受賞された画家。パリ時代には、イサムノグチはじめ多くの一流のアーティストと親交あり、経歴はここに書ききれないすごい方だが、
堂本さんの晩年には、携帯telかかってきてたわいもない話をしたり、ランチしたり(堂本さんご自分で運転して来られた)、お友達のように接していただいた。気さくで素敵な方だった。
堂本尚郎さんは画家としてパリに数十年。日本で多くの日本画家が描いてきた、'風神雷神'
その抽象画を、若い堂本先生はパリ時代に描き、2枚一組の作品なんだけれど、うち1枚を帰国する資金に充てるために、ファンだったパリの倉庫管理の方に買い取っていただいたと。
後に、その方がその絵を返してくださった、という話を堂本さんから聞いた。苦労話なのに楽しそうにお話しされた。
この数十年後に、2枚ふたたび並んだ作品、TV放映特番で観ることができた。
前回書いたように、クリエイターでも会社員でもどんな職業でも若くても、わたしが尊敬できる方々に共通しているのは、オープンマインド であること。誰に対しても変わらないこと。
仕事においては孤独を知り強い意思をもってプロ意識が高いこと、才能の前にベースに備わってる人間性。
そして、表現するものや作品を通じその人の魂に触れると、多くの苦悩、極限の苦悩や悲しみもあったに違いないが、
人のせいにせず、どんな時も自分の力で突き進んだだろう、強い力を感じる、
真摯なモノには衰え消えることのない生命の力がみえる。もうそこにその人はいないとしても宿り遺る。
私が2007年に長い仕事を辞め結婚したが、組織の政治や人事や多忙な、また理不尽な多くに疲れ切って、大学で日本画の基礎を数年学んだが、そんなど素人の私に、堂本さんは、自分の作品をアトリエまで見にきなさい、と何度も何度もtelくださった。自分は何度か倒れてるんだよとも。
私は、緊張して無理、と伝えると、堂本さんは、緊張して倒れてもいいから、来なさい、とおっしゃってくださった。
そんなあたたかい心を、ほんとうにありがとうございます。その思い、堂本さんの笑い声、忘れることはないです。
(上記の写真はFIGAROから引用)
亡くなった後も、シャルロット・ペリアンとの親交は、近年でもみられました。
パリの美術館フォンダシオン ルイ・ヴィトンにて
2019年10月から2020年2月に開催された
「シャルロット・ペリアン:新たな世界への招待状」の大回顧展の会場に、ピカソやミロなどと共に、堂本さんの作品は友人であったイサムノグチの照明とペリアンのテーブルに合わせて展示された。昔の作品でもモダン。本物の作品は魂は生き続ける。
シャルロット・ペリアン繋がりでの堂本尚郎さんとの素敵な出会いに心から感謝。
堂本尚郎さんご本人からいただいた本。
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