品格はにじみでるもの。
では、弓道において“自分を表現する”とはどういうことだろう。
武道には型がある。特に弓道は、「昨日弓を始めた人と範士の先生と、やることは一緒。」と言われる通り、八節以外にない。
八節以外の動作を持たない弓道においては、例えば剣道のように戦い方で自分のスタイルを示すなど、動作の上に自分を表現することは不可能である。決まった動作のうちに自分らしさを出すのなら、内面の違いで表すしかない。
『弓道教本』にも、<精神的に重きをおかれてきた射には、常に至誠・礼節に徹し、射を通じて心の表れるものであり>、<弓道の形として基本に徹し、射の品位、格調が表れるように修練しなければならない。>とある。
正しい射技のうちに、射手の精神が表れるということ。表すのではなく、表れる。。
これって、とってもこわい。
審査のあの一種異様な静寂の中で、品位を保つどころか、平常心さえ難しい。表れるものといえば、中てたい気持ちが出ないように隠す自分や一本外しちゃったからもうだめじゃんという投げやりな自分、中ったら中ったで、もう一本中っちゃったら受かっちゃうかも!という浮ついたヨコシマな自分…が、出ちゃう!!!
こんな自分が丸裸にさらけ出されるなんてっ!!おそろしい。
でも、だからこそ、いつも同じ正しい手順、正しい呼吸に動作をのせることによって、平常心を保つ。そのための射技のお稽古。
心持ちは一朝一夕では変えられないから、射即人生。礼に始まり礼に終わる、時・所・位をわきまえ、心は純真清澄に、誠を尽くす心身の修養が必要なのだ。これは弓を引くときだけに限らない。日々の生活をどう生きるか。
射即人生。
道のりは長い。
でも、真っすぐに進んでいきたい。
射品はにじみでるものだから。
tomochin_nabura様、素敵なお写真お借りします。