アドラー心理学 劣等感を克服する方法 その2〜人の期待には応えなくてもいい〜
前回に続き、「アドラー心理学の教科書」(ヒューマンギルド出版部・野田俊作監修)で学んだことのアウトプットです。
子どもは家庭では、行儀の良いお利口さんを、学校ではしっかり勉強して成績が上がることを求められ、そうした期待に応えられないと、大人からの保護を失うのではないかと不安を感じている。
大人になってからも、人からの期待を裏切る不安を持っている場合がある。でも、それは、人の期待に沿うことばかり気にしているのも子供っぽい考え方の名残。
(以上、要約して引用)
私も、人の期待に答えようとする面がかなりある。
教員をしていた時に、こんなことがあった。
それは卒業式の練習で、私は5年の担任をしていた。6年生の主任の教諭が、卒業式の練習中に5年生の児童が「あくび」をしたのを見て、「5年生の態度が悪い」と怒り始めた。
長い式の練習中には、子どもだって「あくび」くらいするでしょう。それに緊張していると、あくびは生理現象で出るものであります。
でも、私は、言い返せずに。それからの練習では彼を怒らせないように、気を遣ってヘトヘトになっていた。
周りの人を思うように動かしたいがために、怒りという感情を使っていた彼に対して、私は懸命にその期待に応えようとしていた。
あの時は、精神が消耗したなあ。
あれは子供っぽさの名残なんだなあ。
さて、ここからが、大事なところ。
あの時に自分が成熟した大人だったら、どういう対応ができたんだろう?
今だったらこうするだろうなあと思う対応を上げてみる
1 まず自分の感情を見つめる。
・怒鳴られるのが、「怖かった」。
→暴力的な人、威張る人には対して、怖くてつい下手に出てしまう癖がある。
・こちらも5年の担任としていい卒業式にしようと、子どもたちと力を合わせていたのに、影の努力を認められずに、悪いところだけを怒って伝えられて、「がっかりして」「悲しかった」。
→承認欲求があったんだなあ。人から認められることで自信を得たかった。
逆にいうと、人に認められなかったり、叱られると、自信が持てなかった。
・自信の根拠が、自分自身ではなく人の言動で左右される傾向が強い
2 本当はどうしたかったのか?
・力を合わせていい卒業式を作りたい。
・教員の仕事を通して、子どもたち、他の先生といい人間関係を築きたい
・いいコミュニケーションをして、わかりあいながら、問題を解決していきたい
3 どうすればよかったか?
2であげた「いい卒業式を作りたい」「いい人間関係を作りたい」という思いを6年の担任に伝えて、対等な関係で冷静に気持ちやアイデア、改善点を伝え会えればよかった
【ここまで書いて気づいたこと】
人と人とは対等なんだ。
年齢、職業、収入、地位、性格、体格、人にはいろいろな違いがあるけれども、
それによって人間の上下があるわけではない。
アドラー心理学では、人と人とは対等だということが大切にされる。
「人と人とは対等だ」これは、私のような上下関係に敏感な人間には、呪文のように、おまじないのように何度も言い聞かせていく必要がある。
人はみんな自立している。
そのことにただ私たちは気がつけばいいのだ。