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ADHD中野信子さんの著書「毒親」を読む

中野信子さんの「毒親」を読みました。

書店で手に取ったのは、私がADHDで、他でもない毒親からの精神的虐待サバイバーだからです。初めて「毒親」という言葉を聞いた時、私の心臓が爪で引っ掻かれたように痛みました。いじめられている時に「いじめ」という言葉を聞いた時と同じように。

私がADHDであることは、親との信頼関係が築けなかった理由としては十分だったと思います。幼少期から私は何かにつけ親から注意を受けていました。親として当然の内容だったのだろうとは思うのですが、私は注意散漫でそのほとんどを聞いていないか、聞いても忘れて同じことを何度も繰り返したに違いなく、親は普通ではない子どもとの関わりについて、周囲に相談することもできず、理解や援助を得られない孤独の中で狂っていきました。

私が毒親育ちの当事者で、しかも被害者であるという認識は私にとっての事実ですが、一方の(私からすれば)加害者である親もことあるごとに、「私の人生がこんなふうになったのはお前らのせいだ!」と配偶者や子どもに対して言っていたので、客観的にはお互いに被害者意識を持っていた、というのが事実と言えるでしょう。

なんにせよ、「毒親の被害者」と認識せざるを得ない親との関わりは、10歳の私に自殺や親殺しという選択肢を与えただけでなく、家を離れた後も影のように付き纏い、私の自尊心を長く傷つけてきます。

ある夜、親が私の名を叫ぶ怒号が聞こえて目が覚めたら、それ自体が夢だったということがありました。私は安全な場所にいてなお、呼吸を荒げ、胸の動悸を抑え、声を押し殺して枕を濡らして親からの虐待に怯えていたのです。声を押し殺す必要などどこにもないのに。

著者の中野さんは、毒親育ちという自認は、自分のもつ傷がいかに深いか、何が毒で何が毒でなかったのかを判別し、それを癒すには何が必要なのか知ることに繋げて欲しいと書かれていました。

【毒親育ちを無効化するには】私なりにまとめてみました。

1. 脳の発達について知る

さて、この「毒親」という本で私が知りたかったのは、毒親育ちの私がこれからの人生でその影響を極力無きものとするにはどうすればいいのかということです。
解決の糸口は『第4章 親には解決できない「毒親」問題』に記されていました。

毒親育ちの私たちは、彼らとの関わりの中で、深く傷つき胸が痛いとか、泣き声を堪える度に喉にも刺すような痛みが走るといった目には見えない痛みを体で感じるほか、記憶を司る海馬、関心や意欲を司る線条体、視覚野が萎縮する形で実際のダメージを負っているそうです。

人の心は一般的に20歳前後には成熟しているように思えて、実は20代後半まで時間をかけて脳の神経回路が発達していきます。そんなの、出来ることならもっと早く知りたかった!たとえ正直に生きるということが毒親や他人の期待を裏切り、嫌われることだったとしても、もっと早くから、自分に正直に生きればよかった。もっと、自分を守るべきだった。そう思わずにはいられません。

私は、ADHDであることを知るよりも前にうつ病を発病し、30代に入る前に服薬で改善しましたが、社会人になってからというもの、過集中、睡眠不足、嫌な出来事の反芻により短期記憶の短さ、感情のコントロールの難しさ、他者への無関心など先にあげた脳のダメージに基づくように思える自分の短所が目につくようになってきていたからです。

2.環境を変える

そこに、中野さんの本が救いを与えてくれます。
愛情を受けることができずに発育に支障をきたしたような場合でも、
原因となった家庭や養育環境から離れ、別の養育者を充ててストレスのない愛情たっぷりの環境でしばらく過ごすと症状が軽減し、心身ともに発達の遅れが改善されていくそうです。幸い、私は進学のタイミングで毒親から離れることができ、関わる人が入れ替わったことで私は愛されるべき人間だったのだということを知りました。

親元や地元を離れるということは、それまで苦しんできた人にとって救いになることではないかと思います。

3.自分で自分を愛し育てる

ーーー愛するってなんですか?親に愛されたことがないのに、そんなのわかるわけないでしょう。だけど、「甘やかす」ならわかるかも…。家事も手続きも勉強も嫌い。やりたくない時にはやらない。好きな食べ物を食べて、やる気が出たら少しだけやる。そうやって自分を甘やかしています。親には甘えたことがないのに、変な話ですよね。…え?実家にいた頃の家事はどうしていたのかって?それはもちろん全部親です。そうそう。あの、「毒親」がやっていました。はい?それは親に愛されているし、甘えてるうちに入るってーーー?

ここまでは毒親を責め立てるのに必死で、私の罪を棚に上げていましたが、ADHDに生まれついたこの私。忘れ物は絶えず、片付け、家事、手続きが出来ないのを、子ども時代私の代わりにやってくれていたのは、全て親です。


中野さんによれば、潜在的に求めている記憶の中の傷ついたままの子どもの自分を愛し直して育て直すこと。それを近しい人に預けっぱなしにせず、自分自身でケアすること。それがこれからの人生で最も重要な治療になる、ということです。

それって無理ゲーじゃない?


しかし、ADHDの人にとって、「自分自身でケアをする」ことは通常の人の何倍も難易度が高いことです。それができない子どもを持ち、毒親もさぞ苦しかったことでしょう。しかし、殺したくなるほど憎い親元から離れれば、私たちも他人のせいには出来なくなる時が来ます。さあ、先ほど紹介した中野信子さんの言葉がささりますね。

と、いうわけで、私の現在地はここです。要は、ADHD流のライフハックを編み出しまとめていかなければ人生が癒されないということですね(ネガティブ)。

ただ、ひとつ言えるのは、最も身近な存在である親への殺意を堪え、自殺未遂をした過去を持ちながら、私は今も生きています。しかも、割と自由で幸せに。今後も時々、このnoteで克服したきっかけについてお話できればと思っています。

中野信子「毒親 毒親育ちのあなたと毒親になりたくないあなたへ」(2020年)ポプラ新書 p171


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