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本日の一曲 vol.349 ピーター・ポール・アンド・マリー 風に吹かれて (Peter, Paul And Mary: Blowin' In The Wind, 1963)

ピーター・ポール・アンド・マリーは、テノールのピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow)さん、バリトンのポール・ストゥーキー(Paul Stookey)さん、コントラルトのマリー・トラヴァース(Mary Travers)3人のコーラス・グループです。彼らは、マネージャーのアルバート・グロスマン(Albert Grossman)さんのオーディションにより集められたメンバーであり、アルバートさんによって売り出されたグループでした。

アルバートさんは、1959年にニューポート・ジャズ・フェスティバルのカウンターパートして創設されたニューポート・フォーク・フェスティバルの立役者の一人であり、当時、アルバートさんは、「アメリカの大衆は眠れる森の美女のようで、フォークミュージックの王子にキスされて目を覚まされるのを待っている」と話していたそうです。

ピーター・ポール・アンド・マリーは、1962年にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースし、このアルバムは大ヒットしました。時代は、アメリカン・フォーク・ミュージック・リバイバルの時代となり、アルバートさんの手腕も手伝ったのです。

アルバートさんは、同時期にまだ無名だったボブ・ディラン(Bob Dylan)さんのマネージャーも務めていました。しかし、ホブ・ディランさんの才能を見抜いていたアルバートさんは、ボブ・ディランさんの曲である「風に吹かれて」を先に人気の出たピーター・ポール・アンド・マリーさんに歌わせたところ、「風に吹かれて」が大ヒットし、ボブ・ディランさんにも注目が集まったという経緯でした。

ボブ・ディランさんのオリジナルです。

曲だけを一聴すると、アコースティックな穏やかな曲のようにも思えますが、現在のピーター・ポール・アンド・マリーのサイトには、以下のように記されています。

「1960年代以前の数十年間、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)、ウィーバーズ(The Weavers)、ピート・シーガー(Pete Seeger)などのアバターの作品を通じて、フォーク・ミュージックは社会政治的な論評と結び付けられるようになりましたが、この表現は、1950年代後半のジョー・マッカーシー(Joseph "Joe" McCarthy)上院議員の魔女狩り(赤狩り)の時代には、地下に追いやられていました。ピーター、ポール、マリーが登場した頃には、アメリカの大多数にとって、フォークは、アコースティック楽器を使用するポップ・ミュージックの単なる副産物と見なされていました。国がまだマッカーシー時代から立ち直りつつあり、公民権運動が形になり、冷戦が激化し、活動主義の精神が芽生えつつあるこの重要な歴史的転換期に、ピーター・ヤーロウ、ポール・ストゥーキー、メアリー・トラヴァースは、これらの交差する流れを並置し、社会的、文化的、政治的な力としてのフォークの力を取り戻すために集結しました。」

フォーク・ソングといっても、アメリカにおけるその意味合いは、日本における意味合いと違って、政治的・社会的な意味合いを持っていて、かつ、アメリカのリスナーはそれを支持していたのです。このムーブメントは、「アメリカン・フォーク・ミュージック・リバイバル(American Folk Music Revival)」と呼ばれています。

(by R)

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