本日の一曲 vol.457 ザ・ウェイラーズ コンクリート・ジャングル (The Wailers: Concrete Jungle, 1973)
今年2024年の2月、アメリカ映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE(Bob Marley: One Love)」が公開されました。
映画は、おそらくボブ・マーリーさんの伝記として、ほぼ忠実に事実を描いていると思われます。ストーリーとしては、回想シーンはあるものの、1976年12月5日の「スマイル・ジャマイカ・コンサート」開催のアナウンスから始まり、狙撃事件からロンドンでの活動を経て、1978年4月の「ワン・ラブ・ピース・コンサート」までが描かれます。
本日ご紹介するのは、この「ワン・ラブ」で描かれる前の時期である1973年にアイランド・レーベルからリリースされたザ・ウェイラーズ名義のアルバム「キャッチ・ア・ファイヤー(Catch A Fire)」の1曲目「コンクリート・ジャングル」です。幸いなことにこの曲と「スター・イット・アップ(Stir It Up)」には動画が公開されていますので、両曲とも貼っておきます。
ボブ・マーリーさんは、1945年2月6日にジャマイカ・ナインマイルで生まれました。ボブ・マーリーさんの父は白人ジャマイカ人で61歳のノーヴァル・マーリー(Norval Marley)さん、母はアフリカ系ジャマイカ人で16歳のセデラ・ブッカー(Cedella Booker)さんでした。ナインマイルでは、盟友バニー・ウェイラー(Bunny Wailer, 1947年4月10日生~2021年3月2日没)と知り合い、幼馴染みとなります。父ノーヴァルさんはボブさんが6歳のときキングストンの知人の老婆にボブさんを預け、そのまま姿を消し、ボブさんが10歳の時に亡くなりました。ボブさんにとって、父親は憎しみの対象だったようです。
1957年、ボブさんの母セデラさんとバニーさんの父タデウス・リヴィングストン(Thaddeus "Thaddy Shut" Lifingston)が一緒に住むようになり、ボブさんは、12歳の1957年に母とキングストン郊外のスラム地域であるトレンチタウンに引っ越し、そこでアメリカのラジオ局から流れてくる音楽に親しみました。トレンチタウンの3番通りにはジョー・ヒッグス(Joe Higgs、1940年6月3日生~1999年12月18日没)さんがいて、ボブさんとバニーさんはジョーさんから音楽とラスタファリ運動を学び、またここでピーター・トッシュ(Peter Tosh, 1944年10月19日生~1987年9月11日没)と知り合います。
ボブ・マーレーさんは、1961年ころから作曲を始め、1962年からビヴァリーズ・レコード(Beverley's Records)に曲を売り込み、1963年から、ボブさん、バニーさん、ピーターさんの3人が中心となってバンドを結成して、このバンドがスタジオ・ワン・レコード(Studio One)と契約する頃に「ザ・ウェイラーズ(The Wailers)」となりました。
その後、スタジオ・ワンからリリースされたレコードのジャマイカでのヒット、リタ(Rita Marley)さんとの出会いと結婚と子の誕生(ただし、ボブさんはハーレム状態で、リタさん以外にも女子供がいました)、自分たちのレーベルの設立と頓挫、ボブさんとバニーさんの大麻所持による逮捕、ピーターさんのデモ参加による逮捕、スタジオ・ワン・レコードのレスリー・コング(Leslie Kong)さんとの不和、アップセッターズ(The Upsetters)との出会い、スウェーデンやロンドンでのレコーディングなど、「ヤング・ボブ・マーリー」としてエピソード満載の時期を経て、1972年、ジャマイカに縁のあるクリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)さんが設立したロンドンにあるアイランド・レコードと契約しました。
このアイランドでのメジャーデビューアルバムが「キャッチ・ア・ファイヤー」でした。アルバムのプレイリストです。
冒頭の映画「ワン・ラヴ」はこの後のお話になります。
(by R)