本日の一曲 vol.167 アーノンクール モーツァルト 交響曲第40番ト短調 K.550 (Wolfgang Amadeus Mozart: Symphony No.40, 1788 played by Nicolous Harnoncourt & Royal Concertgebouw Orchestra) cf. シルヴィ・ヴァルタン 朱里エイコ
1787年5月28日、モーツァルトの才能を開花させ、ヨーロッパ中にモーツァルトをプロモートした父レオポルド・モーツァルトが亡くなり、その年の10月にオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を完成させた後、交響曲第40番は、翌年の1788年に交響曲第39番、第41番と同時期に作曲され、3大交響曲の1曲とされています。
父レオポルドの死をきっかけにモーツァルトの作風は曲に暗い影を落とすようになった気がします。モーツァルトの交響曲のうち、短調の曲はこの40番と25番の2曲だけで、いずれもト短調なので、40番を「ト短調」、25番を「小ト短調」と言ったりしますが、40番の方がより「哀しみ」を感じるような気がします。
本日ご紹介するのは、ニコラウス・アーノンクールさん指揮による演奏ですが、ヘルベルト・フォン・カラヤンさん、カルロス・クライバーさん亡き後、最も話題性に富む指揮者だったと思います。ニコラウスさんは、1929年にオーストリアの貴族の長男として生まれ、ウィーン国立音楽院でチェロを学び、以後、指揮者として86歳で引退するまで活動し、2016年に亡くなりました。日本でも2005年に京都賞を受賞しました。
ニコラウスさんの指揮は、古楽器オーケストラから出発しただけに、現代の解釈に時代考証を重ねた解釈を取り入れたものであると言われています。モーツァルトの交響曲第40番の演奏にしても、一風変わった演奏と感じさせるものでした。テンポの速い第1楽章や第3楽章など、特に第3楽章は、まさに舞曲でした。アーノンクール指揮のモーツァルトとしては、晩年に録音したウィーン・コンツェント・ムジクスとの演奏が近年では名盤として有名ですが、ニコラウスさんの50代のころである1984年にアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団と演奏した録音の音源がYouTubeにあがっていましたので、ここではこちらをご紹介します。
さて、ポピュラー音楽界では、第1楽章のメロディーに歌詞を乗せて歌われました。1944年生まれのフランスの歌手、「アイドルを探せ!」のシルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan)さんが歌った「哀しみのシンフォニー(Caro Mozart)」(1972)です。
原題と歌詞はイタリア語です。ただ、作詞者は誰かについては、シングル盤のクレジットは、「Dossena-Valgrande-Greco」となっており、Paolo Dossenaさん、Francesco Valgrandeさん、Italo Grecoさんのどなたかになるかと思います。
これを日本語で歌ったのが朱里エイコさんです。作詞者は安井かずみさん、編曲は東海林修さんで、昭和の有名コンビでした。
月の光の中を かけ寄る二人の影
強く強く抱き合う 愛に包まれていた
そのまま死んだら 私は幸せだったのに
哀しみをこの胸に 抱きながら生きてゆく
雨よ風よ嵐よ 思い出を消さないで
まぼろしの声に あなたをしのんで
名前を呼び続ける いつまでも
一日逢えなくても 苦しかった二人が
今は遠く離れて 愛は終わりを告げる
あのとき死ねたら 私は幸せだったのに
また聴こえるあの歌 哀しみのシンフォニー
果てしない愛の旅路 人の世のさだめを
星がきらめく夜に まどろむ二人の影
やさしい愛の世界 頬をつたう涙
今は哀しみを 残したまま私はひとり
シルヴィさんのバージョンが1972年3月のリリース、朱里エイコさんのバージョンが同年9月のリリースのようですので、朱里エイコさんのバージョンがシルヴィさんのカバーになるかと思いますが、レコードのクレジットは、モーツァルト、安井かずみさん、東海林修さんのみになっているようです。また、歌詞は訳詞ではなく、創作のようですね。
朱里エイコさんのバージョンは、アルバム「恋の衝撃」に収録されており、このアルバムのB面はカバー曲集になっています。
(by R)
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