二律背反の極み前書きー東西戦争勃発から近衛弾劾政局に至るまで
中野正剛逮捕に抗議した福岡県民の蜂起によって1943年10月25日突如と『第三次憲政擁護運動』が始まった。重臣たちはそれぞれ福井(岡田啓介)・島根(若槻礼次郎)・岡山(宇垣一成)へと帰郷し、鳩山一郎に連なる議会指導者もまた京浜地域や京阪神地域で食糧難批判を訴えるなど公然と反旗を翻した。さらに海軍派だった高松宮宣仁親王は東条を武力をもって排除することを決意、東条は首相官邸を襲撃した海軍機によって暗殺された。
この『十月革命』によって一挙に首班候補に躍り出たのが米内であった。と