【ラクガキ】スプーン曲げと、絵の話
スプーン曲げ。
一度はやってみたという人が多そうな超能力お試しイベント。
もちろん私も やった口だ。
絶対に、物理的な指の力では曲げないぞ
という正直さを持って挑んでいた。
曲がりはしなかった。
曲がってほしい気持ちと、
このカレーを食べるときのスプーンが曲がってしまっては困る
という、二つの気持ちがせめぎ合っていたように思う。
物を大事にする子供だったのだ。
これ以外にも、
内なる未知の力を使って現象を起こすような試みはいくつもしていた。
超能力とか魔法というものが好きだったのだ。
でもどちらも似たようなものだと混同していたように思う。
どちらでもよかったのだ。
とにかく不思議な力で自分の思い通りにできれぱ。
子供の世界は、思い通りにならないことばかりだ。
社会的にも制限が多いし、
そんなことよりまず不器用だ。
生まれてから過ごした期間にもよるけれど、
やったことのない初めてのことが多すぎて、脳の指示どおりに体のパーツが正しく動いてくれないのだ。
子供ではなくても、初めてのことは練習を重ねて体に覚えさせる、あるいは脳の回路を作らなければ、上手くはできないものだけど、
子供は人のやることを見て、すくに自分も同じようにやりたいものなのだ。
そこに及ばない自分に腹が立つ。
私が記憶する最初のイライラは、
ぬり絵の線の中に、ちゃんとはみ出さず色が塗れないことだった。
理想とする状態が頭の中にあるのに、ペンを持った指は勝手に大きく動いて、輪郭線の外にまでギザギザと色を塗ってしまう。
しばらく頑張ってみるが、
イライラが募りすぎて、しまいには
「ちゃんとできひん!!」と、癇癪を起こしかけながら
「塗って!」と母にやらせる。
母はラフな線でサササッと陰影をつけるように塗って、私を圧倒した。
きっちり塗ることしか頭になかった私は、そんな塗り方もあるのか…と内心、開眼する思いで、仕上がった絵を凝視した。
同じように塗ることは、私にはまだレベルが高すぎた。
母は「はじめに輪郭をなぞって線を描いてから、その中を塗っていけばいいんやで」と教えてくれた。
それで私は言われたとおりに輪郭をなぞることから始めて、
そしてその囲った中を斜めに均一に塗っていくことを続けた。
その手法なら、あまりはみ出さず、
仕上がりも輪郭をなぞった線のおかげできっちりとして見え、
なかなかの出来映えになった。
それからはそのやり方が私の常套の手法になり、
おそらく私の元来の性格もあって、「きっちりかっちり塗る」ことに心地よさを覚えるようになった。
でも、母に塗ってもらったぬり絵の1ページは、対極にあって、
私の中にくさびを深く打ったままだった。
どうやったってあんな風には塗れない。
それは今でもそうなのだ。
私の頭の片隅には、あの絵があって、いつかそんな風に塗りたいと心の底の方で願っているのだ。
ネットに載せるためにパソコンで絵を描くようになってから、私の絵はラフになった。
ペンタブレットを使って描くのは、直接紙に描くのと違ってなかなか思い通りにいかないのだ。
初めてぬり絵をした頃の感覚に戻るようだった。
思い通りの線を描くことも大変だし、はみ出さないように塗るのも大変。
とても疲れる。
それでだんだん、線をきっちり描かなくなった。
線がないから塗るのも適当。
線がないから、はみ出すという概念も必要ない。
楽だ。
長年の「きっちり塗りたい欲」はまだまだ健在なのだけど、
そうしてもいい・しなくてもいい、という自由がある。
絵を描くことはとてもめんどくさいのだけど、
私は自分の描いた絵が好きなのだ。
どんな絵になるかわからないで描いていたりする。
だから出来上がると「こんなの描けた」と驚いたりする。
それを見たくてまた描くのかもしれない。
…、スプーン曲げの話を始めたつもりだった。
大半が絵の話になってしまった。
(タイトルに「絵の話」と付け足した。)
いつも放浪してしまうな、話。
+ + +
前に描いたやつを、また発掘したので
披露するのだった。
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