動物園のクマ (架空エッセイ)
それは、衝撃だった。
ある日、ふらりと行ってみた動物園。
ふらりというわけでもなかった。
電車を乗り継いで、少し辺鄙な山手の駅に降り立って
そこからしばらく歩かなければならなかったからだ。
「動物園前」という駅名なら、もっと門の目の前にないと
おかしいのではないかと思いながら歩いた。
ゆるやかというよりは、やや急な坂道。
ゴムのゆるみかけた靴下なら、きっと靴の中にたぐり寄せられて
土踏まずクッションみたいになってしまいそうな坂だ。
レトロな門の横に、ピカピカの券売機と薄暗い発券窓口があった。
どちらへ向かうべきか、まず迷う。
ピッ!っとボタンを押したい衝動もあるが、
お札を入れる口に、うまく千円札が入れられるかの不安がよぎる。
こういう機械にお札を入れるとき、いつも3回は吐き戻されるのだ。
慎重に、真っ直ぐ、丁寧に入れたつもりなのに
何が気に入らないのか、入れている最中からぺぺっと押し戻してくる。
そのせいで、機械と自分の手との間でお札はうにょ〜んと曲がり、
次に入れるとき、さらに入れにくくなるのだ。
ところで二千円札はどこへ行ったのだろう。
ということで、今回は窓口で買うことにした。
透明な板で阻まれた向こうがわとこちらがわ。
腰の高さにある台のすぐ上が、券とお金をやりとりする四角い穴。
穴はそれだけで、よく見かける放射状に広がる細かい円形集団の穴は
なかった。
何となく、聞こえにくいかもと案じて
腰をかがめながらその穴に向かって、やや声を張りつつ
「おとな、いちまい、ください。」
と言った。
はいー、1枚ねー。
わりと大きな声が、頭上から響いた。
スピーカーからの音だった。
見ると、中に座っている人の前には細長いマイクが立っていた。
なんだ、じゃあこっちも?
と素早くチラチラっと目だけで見回すと、やはりこちら側にも
小さなマイクらしきものがあった。
お金を渡して、入園券をもらった。
ありがとうございます、とそれでも少し張り気味の声で言って
売り場を離れた。
もらいたての券はピンとして、いい匂いだ。
印刷と紙のにおいが好きだ。
券を鼻に当てながら、何回かくんくんと匂いを吸った。
ゲートのところで、係のおじさんが券を点線のところでちぎって
返してくれた。
少し短くなった券をもう一度嗅ぎながら園の中を歩き始めた。
券にはおじさんの手の匂いが少し付いていた。
券はもう、ポケットにしまっておいた。
平日の動物園は、空いていた。
並んだりせずに、見たいところが見られた。
そして、
そうだ、本題だった。
衝撃だった。
クマの檻の前まで行くと、テレビの音がした。
人の喋る声や笑い声と音楽などが入り混じって聞こえる、
テレビっぽい、テレビらしい音だ。
檻の中で、クマはこちらに背を向けてテレビを見ていた。
どういうつもりで、何を見ているのか、
気になったが、クマの体の幅でテレビ画面のほとんどが隠れて
見えない。
音の雰囲気からすると、バラエティ番組なんだろうけど
その音も細かいところまでははっきりせず、しゃべっている、
笑っている、ぐらいのことしかわからない。
画面の端の方が見えそうで見えないので、角度を変えれば
少し見えるんじゃないかと、右へ数歩ずれてみたり
今度は左へ目いっぱい檻の端まで行ってみたり。
いや、やっぱり見えないな、とまた右へ行ったり。
気づけば、檻の前を行ったり来たり、
これでは、よく見る動物園のクマではないか。
まああれは、檻の前ではなく中なのだけれども。
結局、何のテレビを見ていたのかわからなかったし、
クマの顔も見なかった。
そもそもあれは本当にクマだったのだろうか。
背中しか見ていないのだ。
でも、そのあともクマのことが気になって
あとの動物は上の空でチラ見するだけになった。
帰る前にもう一度、クマの檻の前に行ってみた。
今度は寝そべってテレビを見ていた。
画面が見えた。
お侍が走り回る時代劇だった。
ゴトリ、と音がして、
クマが持っていたらしいかじりかけのリンゴが床に転がった。
どうやら眠ってしまったらしい。
眺めていても、クマに変化はないので
帰ることにした。
門を出て、坂道を下って、電車に乗って、
乗り換えて帰った。
平和な一日だった。