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初猟を終えて


自分を正当化するためではない。
この複雑な気持ちを忘れないための記録。

11月15日(日)
初めての鉄砲での狩猟の日。

朝6時に車で20分の山の駅的な喫茶店「サンキュー」におじいちゃん猟師と待ち合わせ。

今日はみんなでカモ猟にいく。
最初は2人で行動。移動中、鴨がどうやって飛んでくるか、どの池にいるか、習性を学ぶ。

カモは足音や車の音が聞こえたり、気配を感じるとすぐに飛び立ってしまう。
目的の池の少し手前で車を止め、息を潜め、銃の準備をする。

射撃場でしか、銃を扱ったことがないから、
矢先の確認はいつも以上に慎重に。一歩間違えれば取り返しのつかないことになる。

日の出時刻になったと同時に、田んぼの150メートルほど向こうから銃声が聞こえて来る。

慌てて飛び立つカモ。私が待機する場所にも向こうから飛んできた。

「今だ、撃て。」
ベテラン猟師に言われ、カモに目掛けて銃を向ける。
7羽ほど一緒に飛んでいただろうか。
その内の1羽にあたって、空からヒラヒラと落ちる。
「あたった!」そう叫んだ私。

初めて獲物に向けた弾があたったことが
純粋に嬉しかった。

ただ、この後、無責任な行動をしてしまった。
撃たれたカモが田んぼの上を走った。必死に逃げてた。
それをみて、私は捕まえることを一瞬躊躇した。逃した方がいいのか、と考えてしまった。でももう飛ぶことはできない、私のせいで弱ってしまったのだ。
私には覚悟がまだ足りなかったみたいだ。命を責任持っていただくことに。
今日は、このことを一日中引きずった。次は、そんな無責任なことはしないでおこう。そう決めた。

捕まえたカモは、暖かく、ふかふかで、可愛かった。

そのあとも複数の池を回った。
「昔は今よりずっとたくさんおったんやけどなぁ」
猟師さんはずっとぼやいていた。
多い時で1日に150羽。料亭に卸したら一羽5000円ほどになったとか。時代は変わったんだなぁとしみじみ。

そのあとも、何発もカモに向かって撃った。

みんなで安全狩猟ができたことは楽しかった。
初めての猟で獲物を捕まえれたことも嬉しかった。
だけど、私の気持ちは複雑だった。

本当に、狩猟することが正しいことなのだろうか。
狩猟する必要があるのだろうか。

私は、食べることが好きだ。
海外に行って、日本では食べられないものも沢山食べてきた。
肉も魚も野菜も穀物も、食べることが幸せで、だからこそ、命と向き合う猟師になろうと思った。

お店でカモ蕎麦も食べたことある。寿司屋でカモ肉のお寿司も食べたことある。カモは美味しいって知ってる。

そのコ、さっきまで生きてたんだよな。

肉にしたらそれが分からなくなる。
当たり前に精肉されてる状態しか知らないのもなんか違うと思う。
だから、命に触れて、いただく感覚、
ありがたいなぁと思う気持ちを忘れたくないと思って猟師になることを決めた。

何が正解か分からない。自分の気持ちは複雑だ。
ただ、狩猟は楽しいだけで出来るものではないと知った。

生きていく上で、間接的に命を奪っている。
誰かに任せていただけなんだ。
それが直接的になって、余計に命の重さを知った。
生きるってこういうことなんだよなぁ。

命をいただいて生きているからこそ
もっと周りのことも考えなきゃいけない。
他人事にしてはいけない。

まだ答えはでていない。一生でないかもしれない。
でも、自分が納得できる道を歩みたい。

命、大切にいただきます。







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