自分で奪って、自分でいただく
初猟で私が命を奪ったカモを、
自分の手で捌いて、
肉にして調理していただく。
生き物だった姿が
スーパーで並んでいる精肉になる瞬間。
慣れてはいけないのだろうけど、
北海道でエゾシカの解体場で働いた経験があるから、抵抗はなく、それでいて冷静に行えた。
大事なのは、できるだけ多くの部位を食べられるように骨と肉の境目を削いでいく
そして、美味しく食べられるように内臓を破かないように気をつける
命を奪ったら、そんなことしかできない。
あとは、「ありがとう」を伝えるだけ。
これが私のできる精一杯のこと。
捌いてみて思ったことは、
散弾銃では、弾の当たりどころによって、美味しく食べられるところが少なくなってしまうから、申し訳ないということ。
打ったのだから、綺麗に命をいただくのだが、やはり鬱血して血の味がすごく、お世辞にも美味しいとは言えない部分がある。ごめんなさい、カモさん。本当は美味しいはずなのだ。
だから、私は散弾銃では小さな動物を撃たないことにした。ウサギやキジなど、狩猟できる小動物は沢山いるし、食べることが好きな私は食べてみたいと思うけど、散弾銃で撃ってしまうと、本当は美味しいはずの肉までもが美味しく無くなってしまうのがいたたまれないので、これからはやらないと決めた。
では、どうしたらいいのか。
その点を解決するのが空気銃。空気銃は散弾銃と違い、弾が1発なので動物に何発も当たることがない。1発だから当てることが難しくなるが、それでも動物を傷つけずに命をいただくことを考えれば空気銃を選択するのが妥当だと思う。
また新たに申請して、銃も買わなければいけないが、その時が来たら買おうと思う。
その時、とは。
最近はあまりスーパーで売っている肉を必要以上に買って食べていない。というのも、大量生産される家畜の飼育に対して疑問に思っていて、消費することでその問題に加担することになっている気がするからだ。そして、肉を食べなくても植物だけで栄養が賄えるという話も聞いた。高校までは毎日牛乳、卵、肉、魚を栄養補給として義務感で食べていた(もちろん全て好きである)が、ここ半年は無理して動物性こものを食べない生活を送っている。カルシウムも鉄分も、タンパク質も植物で補える。むしろ食べない方が身体の調子が良くなるらしいが、その辺私は鈍感なので変化はわからない。(生クリームを大量に食べた日はお腹が緩くなるという変化はあった)
ただ、気持ちは楽になった。
お肉が食べたくなったら、大事に育てられたお肉をいただくことにする。それか、自分で獲った動物を自分で捌いていていただく。空気銃を買うタイミングもその時なのだ。
スーパーで買うのが良いとか悪いとかそういうことではなく、これが私の生きやすい生き方なのだと思う。
植物はいいのか。という議論がある。
動物は可哀想で、植物には臓器がないから生きていないのかといったらまた別で、植物も生き物だと私は思う。
ただ、臓器や顔、表情の分かる動物に対して、自分の感情がどのように動いているかが重要で、動物の命を奪うのが苦しいと思うのならば食べなくてもいいと思うし、それも感謝していただくでもいいと思う。その感謝は動物も植物も平等にできるといいと思う。植物も呼吸し必死に生きていたのだから。
初めて自分で獲ったカモはコガモで、胸肉もモモも手のひらよりも小さく1人で全てを食べれてしまうくらいであったが、母と一緒にいただいた。少し血の味はするものの、弾力があって食べ応えがあり、脂ものってる美味しいお肉であった。生かされていることを感じる。
北海道のエゾシカ、美味しかったなぁ…。
忘れたくない。
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