旧約聖書2「士師記」

さて、旧約聖書のテーマは?と聞かれたら、専門家の半分はこう答えることでしょう。「契約思想」と。

もともと古代西アジア全域は契約社会でした。ハムラビ法典なんて、粘土板に楔形文字で280種ぐらいの契約方法がびっしり書かれてるし。たとえば結婚も契約書を交わさないと無効だったり。
でも古代イスラエルの場合は、社会だけじゃなく「神」と「人間」との間にも「契約」を持ちこんだところが独特だったのです。

例)
創世記9 「ノアの契約」
創世記15、17 「アブラハムとヤコブとイサクの契約」
出エジプト記24 「エジプト脱出後のシナイ山の契約」
申命記 「モアブの野での契約」
ヨシュア記 「◯◯◯」
◯◯◯ 「ダビデの契約」

これらが旧約聖書における「思想として語られる契約」。だがエレミア書31ぐらいから「神」と「預言者」の契約へと発展していく。そして、新約聖書における「神」と「キリスト」の契約に繋がっている。

ところで題名である士師記の「士師」って、日本語にはない言葉なのです。中国版からの翻訳で、そのまま中国語を使ったから、こうなったらしい。民数記、申命記もそう。
旧訳では「士師記」に「さばきつかさき」とルビが振られている。英語では「ザ ブックオブ ジャッジス」つまり「裁く人の本」という意味の題名です。

前回のヨシュア記で、ユダヤの民は約束の地カナンに着くなり、先住民を皆殺しにして、街を破壊し、征服。くじで土地を分配した。
そのはずなのに、つぎの士師記になると、先住民もいるし、もとの街もあるし、ユダヤの民は山に追い込まれて平地に出てこられないしで、弱っちく、いやいや、どっちだよ、という。
おそらく、現実には、彼らは少しずつカナンの地に浸透していったのではないか。

そもそも、ユダヤの民は「神に選ばれた民」というが、聖書をよく読むと、英雄もいろんな部族の血が混ざっているし(父はヘテ人とか、母はアンモン人とか)、出エジプト記12章38にも「種々雑多な人と一緒に出発した」とあるし。純潔思想でなく、混血が進みつつの歴史だっただろうし。

士師記で大事なポイントは、このころ民を導いた士師の権威が、「神に建てられ、神の霊がそそがれたもの」であり、そのことを多くの人が認めることで権威となっていたこと。
そして、まだ王政ではないこと。
8章で士師ギデオンが民から「王になってくれ。あなたの子も孫も代々王になるべきだ」と頼まれても、「いや、国は神が支配するものだ。神以外に王はいらない」と断る。つまり、王政にするべきではないとい考えが当時あった。
一方で、19章の1や、士師記のラスト一行などで、「このころはまだ王がいなかったからいろいろだめだった」的な記述もある。
つまり「士師がいてくれたからギリセーフだったけど、王がいないから割と危なかったよね」「王は必要だよね」と言ってる。
王政の必要性について2つの異なる考えが描かれている。

ちなみに、士師記の後は、サムエル記なのだが。
(いま出版されてる聖書では間にルツ記が入るが、ヘブライ語の聖書ではルツ記は後半に挟まってる)
前回のヨシュア記から、今回の士師記までに、「約束の地カナンの征服」と「ユダヤ王国の成立」が描かれた。そしてつぎのヨシュア記ではついに「王政の始まり」が描かれる。

士師記は物語としても面白いが、興味深い登場人物が、士師ギデオンのほかに3人いる。

1)エフタ 11章34~40
娘を神に捧げるエピソードの人物。
詩人キルケゴールがこれをテーマに「おそれとおののき」を執筆したことでも知られる。
エフタ、そしてアガメムノン(ギリシャ神話のあの人?)は、ともに神に娘を捧げる。これはどちらも目的がはっきりした捧げ物である。しかし、創世記22章でアブラハムがイサクを捧げるお話のほうは、捧げ物の目的がはっきりとわからない。そして、それこそが信仰の本質である。という内容の本です。(ここで教室中に納得のどよめきが)

ドイツ系ユダヤ人の歴史小説家fenchwangは、ナチス時代のベルリンからアメリカに逃げるとき、原稿を紛失してしまい、後に全部書き直した。その中に「エフタとその娘」という優れた歴史小説がある。残念ながら翻訳されていない。

2)サムソンとデリラ
言わずと知れた英雄。
ミルトンの三代叙事詩は「パラダイスロスト(失楽園)」「パラダイスリゲイン」、そして「闘技士サムソン」。ミルトンは盲目で、三代叙事詩を口述筆記したので、盲目のサムソンに思い入れがあったのかも?

3)デボラ
スズメバチの針の意の名前を持つ。珍しい女の預言者。彼女をたたえた士師記5は旧約聖書における最も古い詩歌の1つです。

社会学者マックス・ウェーバーは、士師記に強い関心を寄せました。「プロテスタントと近代社会」という本で有名な人です。世界の中心がローマから、イギリスやオランダなどプロテスタントの国に移行してから、近代社会が始まった、プロテスタント的資質と近代化が関係あるのだろうか、という内容。

最後に、士師記の面白さは、旧約聖書の矛盾が複眼的な要素として見られるところ。そして、人間の強さ、弱さを物語として楽しめるところです。
おしまい。

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